真正保守運動・愛国運動は、戦後一貫して共産支那批判


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真正保守運動・愛国運動は、戦後一貫して共産支那批判を行って来た。

そして共産支那や南北朝鮮に対する土下座外交・謝罪外交・弱腰外交を糾弾してきた。

愛国運動・民族運動の訴へて来たことがいかに正しかったかが、証明された。

我々が、「共産支那脅威論」を論じ、共産支那への経済協力を批判すると、親支那派の人々は、「日本が対中協力をすることにより、中国が発展して豊かになれば、民主化が促進され、中国の脅威などは無くなる」などと反論した。

こうした論議が全く間違っていたことが、近年明白に証明された。

また、「日本は平和国家として出発したのだから、軍事力を強化してはならない。

憲法違反の自衛隊は無くしてしまい、日米軍事同盟も破棄すべきだ。

それが平和への道である」という論議がいかに間違っていたかも明らかになった。

「間違っていた」どころではない。東アジアの平和と日本国の独立と安全を根底から脅かす論議である。

南北朝鮮や共産支那に経済協力をすることは即ちわが国及びわが国民の安全を脅かすことなのである。

また軍事力を軽視することは、侵略者・無法国家を増長させるだけである。

わが國は、自主防衛体制確立に努力すると共に、自主防衛体制が確立されるまでは、日米軍事同盟を堅持し強化する以外に、無法国家・侵略者から祖国を守る手立ては無い。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



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「萬邦無比の國體」と「祭祀」

伊勢神宮


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「萬邦無比の國體」と「祭祀」

 日本國家の存立の精神的中核は、天神地祇を尊崇し稲穂を大切にする信仰精神であり、日本という國家は<天皇を祭祀主とする信仰共同體なのである。
ゆえに日本國は天皇國といわれるのである。

 天皇が現御神であられるということは、天皇は「今生きておられる神」「この地上に実在する神」「人にして同時に神なる方」「天神地祇・稲穂の神靈の體現者」ということである。

 そしてわが國には太古以来の信仰が、祭祀という行事と共に今もわが國民の日常生活に生きている。また、天皇の祭祀は今日唯今も生きた姿で傳承されている。

 つまり、日本傳統精神は、天皇の祭祀を通して、今もなおその生命を傳えてられいるのみならず、現実に天皇及び皇室の自然の命を慈しみたもう御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となっている。

 伊勢の神宮の神殿は、二十年目ごとに必ずくり返される式年遷宮によって永遠に新しい姿に復元し生まれ変わる。古代の神殿が永遠に新鮮な姿で我々の眼前に立っている。

 このように、日本民族は古代信仰を今日唯今も生活の中に生かしているのである。
そして古代信仰の祭祀主を今日の日本国の君主として仰いでいるのである。
これが日本國の素晴らしさである。

 今上天皇は、初代の神武天皇から数えて第百二十六代の御子孫であらせられると共に、現御神として邇邇藝命・神武天皇そして御歴代の天皇と全く同じご資格で國家を御統治されている。

萬世一系の皇統は、高天原より地上へと、天照大御神・邇邇藝命・神武天皇から今上天皇へと、時間を超えて一貫して連綿として傳えられている。

わが国は、古代以来一系の天子が國家の君主であられるのである。

これは世界史の奇跡であり、他の國家・民族には見られない事実である。
まさに「萬邦無比の國體」である。         

 神道の基本行事は、神を祭ること即ち祭祀である。「祭り」とは神に奉仕(仕え奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。

つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。

 人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。

しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。

禊によって罪穢を祓い清め、祭りと直會(神と共に供え物を食する行事)によって神との一體観を回復する。

これが神道行事の基本である。

 つまり人の本来の姿を回復することが祭りの原義である。

『古事記』に示されている「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。

 混迷の度を深めている我が國も、「天地の初発の時」即ち神がお生みになった日本國の最初の時の姿を回復することによって、この危機的状況を打開することができるというのが、我が國の傳統的な信仰である。

 「維新」とは、実に罪穢を祓い清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。

したがって、今日行うべきことは罪穢を祓い清めることである。

 今日唯今も実際に全國各地で毎日のように行われている禊と祭祀は信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められている行事である。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



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天香具山と今即神代・神人一體の信仰

天香具山


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天香具山と今即神代・神人一體の信仰

日本人には、麗しい山を神と仰ぐ信仰がある。これを神奈備信仰といふ。

大和地方では大和三山・三輪山・二上山など、東國地方では富士山・筑波山など、九州地方では高千穂峰・阿蘇山が尊い神の山として仰がれる。

天香具山は、上に「天」が付けられてゐるやうに高天原から天降って来た山で、「天と地とをつなぐ山」として神聖視され、大和三山の中でもとりわけ尊い山とされる。

現代風に言へば、天と地とをつなぐアンテナで、神事を行ふ際、神の降臨を仰ぐために立てる榊である「ひもろぎ」と同じ性格を持つ。

「鎮守の森」といはれるやうに神社には多くの樹木があるのは、その樹木に神が降臨すると信ずるからと言はれてゐる。

わが國傳統信仰においては「神代」「高天原」と「地上」とは交流し、隔絶してゐない。日本傳統信仰は「今即神代・神人一體」の信仰である。

「香具」(かぐ)とは「輝く」を短くした言葉である。

「かぐや姫」とは「輝く御姫様」といふ意である。香具山は輝く山・神聖な山として信仰の対象となってゐる。

「天香具山」とは「天に通じる輝く山」といふ意で、高天原と直結する山と信じられたのである。

高天原にある天香具山について、『古事記』には、天照大神が天の岩戸に隠れになった時、大神に岩戸からお出ましを願ほうとした八百萬命が相談して、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとたまのみこと)が取って来た天香具山の男鹿の肩胛骨を波波迦の木で焼いて占ひを行ひ、天香具山に茂った賢木(さかき)に勾玉(まがたま)や鏡などを付けて捧げ持ち、天宇受売命(あめのうづめみこと)が天香具山の日影蔓(ひかげかづら)を手襁(たすき)に懸け、真拆(まさき)を鬘(かずら)として、天香具山の小竹の葉を手に持ち、岩戸の前で桶を踏み鳴らして神憑りしたと傳へられてゐる。

また、神武天皇が御東征を終へられ大和に都を開かれる時のお祭りで用いられた神具の土器は、天香具山の土で作られたと傳へられてゐる。

國土には地の靈(國魂)が籠ってゐるといふ信仰があり、大和の都を開かれるにあたっては、大和の國の靈(國魂)を鎮めなければならない。

そのために大和の地の國魂が宿ってゐると共に、天と地とをつなぐ神聖なる天香具山の土を、土器にして祭祀に用いたのである。

それによって、神武天皇は大和國を治められる靈的なお力を備へられたのである。

天香具山の土を手に入れることが大和全體を掌握することになるといふ信仰である。

折口信夫氏は、「天香具山の名は天上の山の名である。

同時に地上の祭時に當って、天上と一つの聖地-天高市(アメタケチ)-と考へられた土地の中心が此山であった。

だから平常にも聖なる地として天なる称號をつけて呼ぶ様になったのだ」「大和なる地名は、當然宮廷のある地を意味する。

天は、宮廷の真上にあり、宮廷のある處は、天の真下である。

即ち、國語に於ける天が下(アメガシタ)の確かな用語例は、宮廷及び宮廷の所在を示すことになる。

だから、宮廷の存在なる狭義の大倭は、天が下であり、同時に天其物と觀じることが出来た。

天香具山は、地上に於ける聖地の中心であった。

即ち、大倭の中心である。

この山の埴土(きめの細かい黄赤色の粘土)は、大倭の國魂の象徴にもなる…。」(『大倭宮廷の靱業期』)論じてゐる。

折口氏の説によると、天皇のゐます宮は「天」(高天原)・「聖地」であり、その中心が天香具山なのであり、このやうな神聖な所を神座(カミクラ・神のゐますところ)と言ふ。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



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日本神道=日本傳統信仰の特質


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今日のやうな大国難の時期においてこそ、厭世的ではなく逃避的でもなく、清潔さを好む、明るくおおほらかなる祭祀の精神を回復すべきである

第26回楠公研究会

神祭りは、日本傳統精神の原点であり日本傳統文化の祖型である。

神道の基本行事たる「祭り」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。

つまり神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。

祭祀は、〈神人合一〉の行事である。

「祭祀」とは、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。

日本神道の祭りは、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、罪けがれを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰るといふ行事である。

言ひ換へると、禊祓ひによって生成の根源に回帰するといふことである。

「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふのである。

「祭り」とは厳粛なる行事ではあるが、堅苦しい苦行ではない。

明るく愉快な行事である。

神人融和・神人合一の状態は明るく面白いのである。

「阿波礼、阿南於毛志呂、阿南多乃之、阿南佐屋気、於気於気(あはれ、あなおもしろ、 あなたのし、あなさやけ、おけおけ)」

これは、天照大神が天の岩戸からお戻りになり、世界が明るさを取り戻した際、天の岩戸の前で神々が歌ひ踊って喜ぶ場面の掛け声である。

日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。

日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「祭り」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。

「面白い」といふの言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。

神人合一とは、明るい面白い境地なのである。

決してしかめつらしい境地ではない。

厭世的でもなければ逃避的でもないといふのが我が國民性である。

いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができると信じ続けてきてゐるのである。

「まつり」とは厳粛なる行事ではあるが、堅苦しい苦行ではない。

明るく愉快な行事である。神人融和・神人合一の状態は明るく面白いのである。

「あはれ、あなおもしろ、 あなたのし、あなさやけ、おけおけ」

これは、前述したとおり、天照大神が天の岩戸からお戻りになり、世界が明るさを取り戻した際、天の岩戸の前で、神々が歌い踊って喜ぶ場面の掛け声である。

『古語拾遺』(平安時代の神道資料)に記されてゐる。

日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。

日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。

つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「まつり」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。

「面白い」といふの言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。

神人合一とは、明るい面白い境地なのである。

厭世的でもなければ逃避的でもないといふのが我が國民性である。

いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができる信じ続けてきてゐるのである。

また「さやけ」といふ言葉には、日本人の清潔好きといふ感覚が表現されてゐる。

面白く、楽しく、清らか、といふのが「まつり」なのである。

ここに日本神道=日本傳統信仰の特質がある。

「難行苦行を経なければ神の許しを得ることはできない。

そして神は常に人間に対して罪を犯したら裁く、神に背いたら報復すると脅し続ける」といふ恐怖の信仰ではない。

今日のやうな大国難の時期においてこそ、厭世的ではなく逃避的でもなく、清潔さを好む、明るくおおほらかなる祭祀の精神を回復すべきである。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】

第26回楠公研究会



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武漢コロナウイルスによる國難打開のために

祭祀


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武漢コロナウイルスによる國難打開のために、建國以来の歴史に学び、全國の神社・仏閣に國家國民が一丸となって國難打開の祭祀・祈願を行ふべきである

第26回楠公研究会

『政治文化情報』四月号の「皇都の一隅より」の拙文にも書かせていただきしたが、東京及び東京近辺の大神社、大寺院が今回の国難打開のための祭祀、祈祷會、法要を行ったという情報がありません。

多くの神社仏閣がお祭りや法要を中止或は小規模にしたということを聞くのみでした。

本来なら国難打開の大法要そして救済活動を行なうべきなのに、毎年正月三が日には多くの参拝者でにぎわう即ち莫大な額のお賽銭が入る大寺院は僧侶を自宅待機にしたということを聞いて、少々呆れてしまいました。

どこかの教団の名誉会長とかいう人はまるで生き仏・生き神・世界の救済者のように崇められていますが、今回の国難で具体的にどのような救済活動をしたのかは全く報じられていません。本人が病身なのでやむを得ないとは思いますが…。

既成宗教にしても新宗教にしても新々宗教にしても内紛・後継者争いの無い宗教は無いと言っていいと思います。

もっともキリスト教も仏教も回教も、内紛、近親憎悪の歴史であったと言っていいと思います。

殺し合いすら行っています。これはどうしようもないことでしょうか。

この度の苦難を乗り切って、人類全体が真の平和を実現することを望みます。

後土御門天皇は、明応四年(一四九九)に次のやうな御製を詠ませられた。

「伊勢にごりゆく 世を思ふにも 五十鈴川 すまばと神を なほたのむかな」

この御製は聖天子の篤き祈りの御歌である。

いかなる濁れる世、乱世であっても、否、さうであればこそ、上御一人日本天皇は、神への祭祀、祈りを深められた。

そしてその事が、日本國再生の基となった。

今日の日本も「にごりゆく世」である。また文字通り有史以来未曽有の國難に遭遇してゐる。

今こそ、祭祀主・日本天皇の御稜威の下、本来の日本の清き姿に回帰し困難を打開しなければならない。

今日の疫病猖獗などの國難打開のために、建國以来の歴史に学び、全國の神社・仏閣に國家國民が一丸となって國難打開の祭祀・祈願を行ふべきである。

わが國においては、大化改新、建武の中興、明治維新等の大変革が實現する直前に内憂外患に見舞はれ、國家の存続すら危ぶまれる状況において、全國民が一体となって、神仏への祭祀と祈願を行った。

そして危機を打開し、維新変革を實現してきた。

今日においても歴史に学ぶべきである。

ところが、今日に於いては「現行占領憲法」の亡國的制約によって、國民的規模・國家的規模の國難打開の祭祀も祈祷も行ひ得ない状況になってゐる。

これを根本的に改めなければならない。

「大嘗祭は神人合一のみ祭りではない。

現行憲法のの象徴としての行事だ」などというそれこそ妄説が皇室崇敬の学者から出されるような状況は実に悲しむべき事であります。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】

第26回楠公研究会



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神仏への全國家的・全國民的祭祀と祈願を實行し、危機を打開すべし


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今日においてこそ、歴史に学び、神仏への全國家的・全國民的祭祀と祈願を實行し、危機を打開すべし

第26回楠公研究会

祇園祭の由来は今からおよそ一一〇〇年前の貞觀十一年(八六九)、京都で流行した疫病を鎮めるため、「祇園社(ぎおんしゃ)」(現在の八坂神社)にて六六本の鉾をつくり疫病の退散を祈願した御霊会が始まりという。

毎年七月に行われる祇園祭山鉾巡行は、今年は例年通りの巡行を中止する方向で関係者が検討を進めていることが四月一六日に分かった。

重要無形民俗文化財に指定され、日本三大祭りの一つに数えられる祭礼には、例年、実に多くの観光客が京都に押し寄せる。新型コロナウイルス感染拡大の終息が見通せない中、従来通りの実施は困難だとして、祇園祭山鉾連合会が各山鉾町などとの調整を続けていて、二〇日に記者会見し、方針を示すという。止むを得ないことであろうか。

しかし、神道学者などから、「疫病退散の祭りなのに。いまやらなくて、いつやるの」という疑問の声があがっている。

たしかに、祇園祭は、伝染病退治の祭祀なのであるから今こそ行われるべきであろう。

これまでも山鉾巡行はコレラが流行した明治時代に秋に延期したり、5月に実施したりしたことがあった。

取りやめは、阪急電鉄の地下工事により中止された昭和三七年以来五八年ぶという。

神社関係の大きな祭礼や寺院の大きな法要なども中止延期を決めた神社仏閣も多いようである。

たしかに感染拡大防止のために緊急事態宣言が出されているのであるから、多くの人々が集まる大宗教行事の中止や延期は止むを得ないことなのかもしれない。

しかし、余りにそういうことを恐れるあまり、本来行われるべき、否、行わなければならない祭礼・法要などを中止や延期にしてしまうのは如何なものであろうか。

むしろこういう時にこそ粛々と行われるべき祭礼・法事があるのではないだろうか。

わが國は國難を契機として、一大変革を成し遂げてきた歴史を有する國である。

この度もさうであらねばならない。

今日の日本も幕末期・明治初頭と同じやうな、否、それ以上の危機に直面してゐる。

國難に遭遇してゐる。

今日においてこそ、日本傳統精神に回帰した國家革新を断行しなければならない。

日本傳統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹であり全てである。

それは日本民族の實際生活から生まれて来た信仰である。

この日本傳統信仰に今こそ回帰し、今日の疫病猖獗などの國難打開危機を乗り越えるべきである。

これは安易なる神仏へのよりかかりではないし、「叶はぬ時の神頼み」でもない。

わが國は、古代以来、神への祭りによって大國難を乗り切ってきた歴史を有する。

私はそのことを信じて疑はない。

重要なのは、建國以来の歴史に学び、全國の神社・仏閣に國難打開の祭祀・祈願を行ふべきだといふことである。

わが國は維新変革を断行する直前に、内憂外患に見舞はれ、國家の存続すら危ぶまれる状況において、全國民が一体となって、神仏への祭祀と祈願を行った。

そして危機を打開し、維新変革を實現してきた。

今日においてもさうした歴史に学ぶべきと考へる。

然るに、今回の國難においては、全國各地の神社や寺院などにおいて、神職・僧侶・氏子・信徒が一丸となって、神を祭り、仏に祈願を行ったといふ話を聞かない。

それどころか、全國の神社仏閣は大きな行事を自粛し、僧侶は自宅待機などをさせられるといふこともあるといふ話を聞いた。

何ともおかしなことである。

感染拡大には十分に対策をとりつつ、疫病・自然災害の鎮静化祈願など神社仏閣の本来の使命・最も大切な役割をはたすべきであろう。

今こそ、神職・僧侶の聖なる使命の実行が望まれるのである。

今日においてこそ、歴史に学び、神仏への全國家的・全國民的祭祀と祈願を實行し、危機を打開すべきである。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】

第26回楠公研究会



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反日への最後通告 3


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『反日への最後通告 3』
(1) 外国人21人と内国人6人が眺めたK国は、一言で言えば阿鼻叫喚の未開の国だった。


「反日への最後通告」の著者池萬元氏は、外国人21人と内国人6人の著作から抜粋して、事細かく説明している。
その一部を以下に記す。


・13年間見たK国の人々は糞尿に汚染された水を飲んでいた。
こんな人々のために日本は上水道を作って伝染病を減少させた。
K国人は盗みを働き、嘘をついて人を騙す。
信じるに値しない人々だ。
(ヘンドリック・ハメルノの朝鮮幽囚記より抜粋)

・ソウルは至る所が不衛生だった。
下水路には野菜などの生ゴミが溜まっていて、鼻がひん曲がりそうな悪臭が漂っていた。

衛生状態が劣悪なため、絶えず伝染病が蔓延しており、人口の1割がコレラやペストで死んだ。
通りは狭苦しい泥道で、あらゆる動物の排泄物が散らばり、そこを通ると息をすることもできない。
(アメリカ人宣教師ホレイス・ニュートン・アレンの著作より抜粋)

・K国人はその殆どが文盲だ。
K国人は地球上で最も汚い人々だ。
役人たちは貪欲で、民衆の血をすすって肥え太っていた。
(アメリカ人の東洋学者ウイリアム・グリフィスの著作より抜粋)

・飢えたK国の民衆はC国の密輸業者に自分の幼い娘を一人あたり米一斗で売っていた。
道という道には死体が散乱していた。
(フランス人神父クロード・シャルル・ダレの著作より抜粋)

・K国人はごく初歩的な衛生観念もない。
金持ちの家に行っても状況は特に変わらなかった。
誰も通りを清掃しないので糞便を避けて歩くほかなかった。
垂れ流された糞尿で井戸が汚染されている。
K国人たちは汚物や洗濯した水をそのまま井戸に捨て、その水をまた使っていた。
だから、ある村にコレラが発生すると、あっという間に村全体に広がった。
(アメリカの宣教師ホーマー・ハルバートの著作より抜粋)

・K国の女達は概して美しいとは言えない。
彼女らは悲しみと絶望、過酷な労働、病気、愛情の欠乏、無知、目は輝きを失い、顔はやつれて、傷だらけだった。
さらに彼女らがみなタバコを吸っていることに驚いた。
(K国の延世大学創立者ホレイス・グラント・アンダーウッドの著作より抜粋)

・日本には有って朝鮮に無いのは、忠誠心と愛国心と自己犠牲という高い理想を持つ学者と文化的集団だ。
(ドイツ人旅行家ヘッセ・ヴァルテックの著者より抜粋)

・この国に来て最も驚いたことは、想像を絶する汚さだ。
全世界の数多くの国々を巡ってきたが、地球上でこのように汚い国は初めてだ。
(アメリカ人牧師ジョージ・ギルモアの著作より抜粋)

・古今東西、K国ほど汚い所はない。
K国では人々がウジ虫にまみれて暮らしている。
日本人の家は明るく清潔だが、K国人の家は肥溜めレベルである。
(イギリス人の新聞社主アルフレッド・チャールズの著作より抜粋)
・・・・・・・
(2) 日本が併合する前のK国がいかに不潔な未開の地であったか。
その凄まじさに驚くどころか、多くの外国人は戦慄さえ覚えたという。
ヤレヤレである。

【日本再興会 吉野 一道 先生のご投稿から頂きました。】



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反日への最後通告 2


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『反日への最後通告 2』
(1)「反日への最後通告」の著者池萬元氏は、2002年から現在までの18年間、真実を知るために20万ページにも及ぶ記録と格闘した。

検察からの暴力に耐え、生き地獄を味わったが、検察は私の真実の叫びに対して、反論できる理論的な根拠を何一つ出すことができなかったと語る。

(2) 彼は続ける。

・政府によって洗脳された反日感情は国を壊滅させる凶器であり、毒だ。

結論から言えば、K国は汚く、未開だった反面、日本は学ぶことの多い、感謝すべき国だ。

・写真や証言等によればK国の土地は李朝の500年間は道端に汚物が溢れ、それに汚染された水を飲料水として飲んだ。

伝染病が蔓延しても迷信に固執した。

K国内外の人々はみな、K国人は嘘ばかりつき、盗みを働き、人を騙すことに長けていたと語る。

・日本が強制的に開花させていなかったならば、今日のK国はなかった。

我々が現在使っている単語も、今日我々が使用している紙幣も日本が作ったものであり、京釜線、中央線、京仁線などの鉄道も日本が40年余りを費やして建設した。

・日本は世界が認める文化の国であり、品質に責任を負う国であり、K国経済の礎石を敷いてくれたゆりかごである。

日本がなかったならば漢江の奇跡もあり得なかった。
・・・・・・・

(3) 第2章「外国人と内国人が見たK国」では、K国を長年観察し続けた外国人21人と内国人6人が、K国の凄まじい状況について、彼らの著作の中で、「K国を一言で言えば、阿鼻叫喚の未開の国だった」と語っている。

彼らはK国について、どんな事実を語ったのだろうか。

【日本再興会 吉野 一道 先生のご投稿から頂きました。】



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反日への最後通告 序章


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『反日への最後通告 序章』

李栄薫教授の「反日種族主義」がK国で話題になった。

その後を追うようにして、衝撃的とでも呼ぶべき「反日への最後通告」という本が出た。

著者は池萬元氏。


・朝鮮は花の国、日本は悪魔の国というのは共産主義者が作り上げた虚像だった。

1392年李氏朝鮮が誕生して518年間統治したが、外国人が描写した首都・漢陽は、不潔で伝染病が蔓延し、嘘と陰謀と収奪が横行する辺境の地だった。

・女性は男性の奴隷であり、両班のために奴隷を生んでくれる生産道具であった。

1割の両班が9割の同族を奴隷としてこき使い、その楽しみに耽っていたが、やがてやってきた弱肉強食の時代の趨勢から取り残されて滅亡した部族国家がすなわち朝鮮だ。

・こうした未開の状態の国を治めて日本は、わずか三十年で日本式の建物を建て、広い道路を整備し、鉄道を作って汽車を走らせ、ダムを建設して電気を供給するとともに、各地に学校を建てて近代的な教育を施した。

・1504年に燕山君が葬ったハングルを科学的に開発して、朝鮮語試験を実施して合格した人々に朝鮮語手当を支給し、1928年には10月9日をハングルの日と定め,重い鋳貨の代わりに紙幣の使用を導入した。
福沢諭吉がいなかったら韓国人が現在使用している単語もなかったし、世界と疎通できるパイプラインもなかった。

・日本が一番先に教えたことは嘘をつかずに両親に孝行しろという道徳教育だったが、その教育は金大中と李海?が葬り去った。

この時から子どもたちは訓育されるのでなく、飼育されてきた。
今日の若い世代を見ると訓育なしに育った人間の人格が獣より危険なように感じられる。

・日本が40年間朝鮮で築いた財産は総額52億ドルであり、韓国に23億ドル、北朝鮮に29億ドルあった。
アメリカは奪われた国を取り戻して、日本が韓国に置き去りにした23億ドルもの財産を差し押さえて李承晩政権に与えた。
1965年に受け取った請求権資金3億ドルの実に8倍に上がる。

これは建国したての大韓民国の総経済規模の80%を占めた。

・アメリカは、敗戦に伴って引き上げる日本人のポケットや荷物をくまなく調べて着の身着のままの状態で帰国させた。

これを足がかりにして朴正煕が18年間築き上げたのが韓国経済だ。

日本の力を借りることができなかったならば、京釜高速道路も浦項製鉄所も重化学工業も昭陽江ダムもなかった。

日本が素材、部品、技術、資本を供給しなければ、韓国を支えている組み立て産業は廃業せざるを得ない。

・本書は、写真と事実資料を豊富に引用している。

あくまで事実に基づいて書いた。

・朝鮮が美しい花の国というのも嘘、日本が悪魔の国だというのも嘘、日本がハングルを葬ったというのも嘘、慰安婦に関する話も嘘、強制徴用という話も嘘、全て嘘づくめだ。

・それでは、この様な歪曲を、誰が、どの様な目的でやったのか。

我が韓国民は是非とも知るべきである。

【日本再興会 吉野 一道 先生のご投稿から頂きました。】



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共産支那は叩き潰すべきであって友好関係を結ぶべきではない


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共産支那は叩き潰すべきであって友好関係を結ぶべきではない

支那共産政権との友好など絶対にあり得ない。今日、世界最大最悪最凶の侵略国家・軍国主義国家・独裁専制国家が共産支那である。

こんな國は叩き潰すべきであっても友好関係を結ぶべきではない。新疆ウイグル(東トルキスタン)、チベット・内モンゴルに対す侵略と残虐な住民弾圧は天人共に許されざる行為である。

こんな國がアジアの盟主のような顔をして、エチオピアなどを金で手なずけ「兄弟」などと呼びかけることに虫唾が走る思いがする。

最近は、わが国国民の拘束を相次いで行っている。

これら対して、わが国政府は強硬な抗議を行わないし報復も行わない。

それどころか、習近平と言う悪魔的人物を「国賓」として招いた。

一体何を考えているのか。

そんなことをすると拘束された邦人は本当に違法行為を行ったのではないとか勘ぐられてします。

わが国の野党もメディアも共産支那政府による邦人拘束に対する糾弾を行わない。

全く許し難い。

共産支那は、北朝鮮とその体質は同じである。

権力闘争に敗れたら、殺されるか獄に入れられる。

毛沢東時代は過去のことだと思ったら大間違ひ。習近平による周永康、薄熙来、徐才厚などの粛清事件などを見てもそれは明らかである。

薄熙来・周永康は、劉少奇・彭徳懐・賀龍のようになぶり殺しにされなかっただけまだましかもしれない。

支那は「中華思想」といふ差別思想によってこれ迄の長い歴史において周辺諸國を侵略してきた。

秦始皇帝・漢武帝・隋煬帝(ようだい)・唐太宗のように内乱の後に大統一帝國が成立した時には、強力な國外侵略を行っている。

共産支那帝國成立後も同じ歴史が繰り返され、チベット・東トルキスタン・内モンゴル侵略併呑、わが國への軍事的圧迫・尖閣沖縄侵略策謀、ベトナムへの侵略が行われている。

わが國は、防衛體制を強固にし、アメリカ及び台湾・インド・ベトナム・フィリッピン・インドネシアなどの海洋國家と政治的・軍事的・経済的に提携し、支那の中華帝國主義のアジア侵略を封じ込めることが急務である。

日本人に今必要なのは、日本民族の誇りを回復し、中華帝國主義と戦う姿勢を確立することである。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



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