日本神道=日本傳統信仰の特質


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今日のやうな大国難の時期においてこそ、厭世的ではなく逃避的でもなく、清潔さを好む、明るくおおほらかなる祭祀の精神を回復すべきである

第26回楠公研究会

神祭りは、日本傳統精神の原点であり日本傳統文化の祖型である。

神道の基本行事たる「祭り」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。

つまり神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。

祭祀は、〈神人合一〉の行事である。

「祭祀」とは、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。

日本神道の祭りは、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、罪けがれを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰るといふ行事である。

言ひ換へると、禊祓ひによって生成の根源に回帰するといふことである。

「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふのである。

「祭り」とは厳粛なる行事ではあるが、堅苦しい苦行ではない。

明るく愉快な行事である。

神人融和・神人合一の状態は明るく面白いのである。

「阿波礼、阿南於毛志呂、阿南多乃之、阿南佐屋気、於気於気(あはれ、あなおもしろ、 あなたのし、あなさやけ、おけおけ)」

これは、天照大神が天の岩戸からお戻りになり、世界が明るさを取り戻した際、天の岩戸の前で神々が歌ひ踊って喜ぶ場面の掛け声である。

日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。

日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「祭り」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。

「面白い」といふの言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。

神人合一とは、明るい面白い境地なのである。

決してしかめつらしい境地ではない。

厭世的でもなければ逃避的でもないといふのが我が國民性である。

いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができると信じ続けてきてゐるのである。

「まつり」とは厳粛なる行事ではあるが、堅苦しい苦行ではない。

明るく愉快な行事である。神人融和・神人合一の状態は明るく面白いのである。

「あはれ、あなおもしろ、 あなたのし、あなさやけ、おけおけ」

これは、前述したとおり、天照大神が天の岩戸からお戻りになり、世界が明るさを取り戻した際、天の岩戸の前で、神々が歌い踊って喜ぶ場面の掛け声である。

『古語拾遺』(平安時代の神道資料)に記されてゐる。

日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。

日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。

つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「まつり」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。

「面白い」といふの言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。

神人合一とは、明るい面白い境地なのである。

厭世的でもなければ逃避的でもないといふのが我が國民性である。

いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができる信じ続けてきてゐるのである。

また「さやけ」といふ言葉には、日本人の清潔好きといふ感覚が表現されてゐる。

面白く、楽しく、清らか、といふのが「まつり」なのである。

ここに日本神道=日本傳統信仰の特質がある。

「難行苦行を経なければ神の許しを得ることはできない。

そして神は常に人間に対して罪を犯したら裁く、神に背いたら報復すると脅し続ける」といふ恐怖の信仰ではない。

今日のやうな大国難の時期においてこそ、厭世的ではなく逃避的でもなく、清潔さを好む、明るくおおほらかなる祭祀の精神を回復すべきである。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】

第26回楠公研究会



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