国家存立の基礎を揺るがす国民主権論

八百万神


エックスサーバー

エックスサーバー

国家存立の基礎を揺るがす国民主権論

天皇と国民と国土は霊的・魂的に一体の関係にある。

今日、何かと言うと「国民主権」ということが強調される。

この「国民主権」というのは、君主と国民が政治権力を争った西洋において生まれた思想である。

日本国においては、君主と国民とは対立関係にあるのではないし国家と国民も対立関係にあるのではないことは、日本神話に示されてゐる。

神話とは、現実の歴史を反映し理想化して描いた物語であり伝承である。

日本国の祭祀的統一の歴史が、神話において物語られた。

村岡典嗣氏は、「(国家の神的起源思想の特色として・註)国家成立の三要素たる国土、主權者及び人民に對する血族的起源の思想が存する。

即ち皇祖神たる天照大神や青人草の祖たる八百万神はもとより、大八洲の国土そのものまでも、同じ諾册二神から生れでたはらからであるとの考へである。

吾人は太古の国家主義が実に天皇至上主義と道義的關係に於いて存し、天皇即国家といふのが太古人の天皇觀であったことを知る。

皇祖神が国土、人民とともに二神から生れ、而も嫡子であると考へられたのはやがて之を意味するので、換言すれば天皇中心の国家主義といふに外ならない。」

「日本の國家を形成せる國土(即ち大八洲)と元首(天照大神)と、而してまた國民(諸神)とが、同じ祖神からの神的また血的起源であるといふことである」
(『日本思想史研究』四)と論じてゐる。

岐美二神はお互ひに「あなにやし、えをとめを」「あなにやし、えをとこを」(『本当にいい女ですね』『本当にいい女ですね』)と唱和されて、国生みを行はれた。

二神の「むすび」「愛」によって国土が生成されたのである。

国土ばかりではなく、日本国民の祖たる八百萬の神々もそして自然物も全て岐美二神のよって生まれたのである。

国土も自然も人も全てが神の命のあらはれであり、神霊的に一体なのである。

これが我が国太古からの国土観・人間観・自然観である。

日本神話においては、天地が神によって創造されたのではなく、岐美二神の「愛・むすび」によって国土が生まれた。つまり神と国土・自然・人間は相対立し支配被支配の関係にあるのではなく、神霊的に一体の関係にあるのである。

ここに日本神話の深い意義がある。

神と人とが契約を結び、神は天地を創造し支配するといふユダヤ神話と全く異なる。

伊耶那岐命は伊耶那美命に「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。

故(註・かれ。だからの意)この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合はぬ処に、刺し塞ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまふた。

伊耶那岐命が「国土を生みなさむ」と申されてゐるところに日本神話の素晴らしさがある。

中西進氏は、「(世界各地の神話は・註)人類最初の男女神は、人間を生んでいる。

國を生むのではない。ところが、日本神話ではそれが國生みに結び付けられ、国土創造の話に転換されている。

これは日本神話の特色で…」(『天つ神の世界』)と論じられてゐる。

岐美二神は、単に大地の創造されたのではなく、国土の生成されたのである。

太古の日本人は劫初から、国家意識が確立してゐたのである。

世界の他の国よりも我が国は国家観念が強かったといへる。

この場合の「国家」とは権力機構としての国家ではないことは言ふまでもない。

日本国と全く国柄・歴史が異なる西洋の憲法思想たる国民主権論をわが國の憲法思想にしてはならない

天皇と国民と国土の関係は、対立関係・支配被支配の関係にあるのではない。

契約関係・法律関係にあるのでもない。

霊的魂的に一体の関係にある。

これを「君民一体の国柄」といふ。

しかるに今日の多くの政治家や学者やマスコミは、相変らず外来思想である「君主と対立する人民が國家の主権者である」といふ「國民主権論」をとり、わが國の國家傳統の破壊しやうとしてゐる。

それが一般國民の常識となって浸透してゐることは實に以て、國家存立の基礎を揺るがす事實である。

さらに憲法論においても、重大な問題がある。

西洋成文憲法は権力に対する制限規範である。

「権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。

イングランド最悪の王と言われるジョン王と諸侯との間で結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、『国王も法の下にある』といふ原則=『法は王権に優越する』といふ法治主義を確立した」とされる。

しかし、日本天皇の国家統治の本質は、権力・武力による国家・国民支配ではない。

神聖なる権威による統治である。

むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。

それがわが国の建国以来の國體であり歴史である。

また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の法である。

天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。

また、わが國の最高の成文憲法は、「天壌無窮の御神勅」である。

「現行占領憲法」は、その法思想・理念もアメリカの押し付けであるから、「マグナ・カルタ」を起源とする西洋成文憲法思想に貫かれてゐる。

日本天皇は、権力を濫用して国民を苦しめるジョン王などの西洋専制君主とは全くその本質を異にする。

『現行憲法』は、わが國體とは相容れない。

日本国と全く国の成り立ち・国柄・歴史が異なる西洋の憲法思想をわが國の憲法思想にしてはならない。

「日本神話の精神」は西洋思想の行きづまりを原因とする世界的危機打開の力を持つ。

何故、日本国は神聖なる国であるのか、それは「日本国は神が生みたまふた神の國である」といふ「神話の精神」によるのである。

何故、天皇は神聖なる御存在であるのか、それは「天皇は天照大神の地上に於ける御代理であらせられる」といふ「神話の精神」によるのである。

また、何故天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは「天皇は天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられる」といふ「神話の精神」によるのである。

古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変はることはないのである。

「神話の精神」と言ふと非科學的だとか歴史的事実ではないと主張してこれを否定する人がゐる。

しかし、神話において語られてゐるのは、一切のものごとの生成の根源であり古代人の英知の結晶であり、神話的真実である。

神話には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られてゐる。

そして「日本神話の精神」は西洋科学技術文明及び排他独善の一神教を淵源とする闘争的な西洋政治思想の行きづまりが原因となった全世界的危機を打開する力を持ってゐる。

天皇を君主と仰ぐ日本の国柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで続いてきてゐる。

ところが外国では、太古の王家も古代国家もそして古代民族信仰もとっくに姿を消し、その後に現れた王家は武力による征服者であり、その後に現れた国家は権力国家であり、その後に現れた信仰は排他的な教団宗教である。

古代オリエントや古代シナにおいては、祭祀を中心とする共同体が武力征服王朝によって破壊されてしまった。

共同体を奪はれ祭りを喪失したよるべなき人々は、貨幣や武力に頼らざるを得なくなり、権力国家・武力支配国家を形成した。

それに比してわが日本は、古代からの祭祀主を中心とする共同体国家が、外国からの武力侵略によって破壊されることがなく、今日も続いている唯一の国なのである。

皇室祭祀だけでなく、全国各地で一般国民が参加する祭祀が続けられてゐる。まことにありがたき事実である。

我が国は、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、現実の国家の君主と仰ぎ、国家と民族の統一の中心として仰いでゐる。

かうした事実は西洋諸国やシナと日本国との決定的違ひである。

長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも国が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇といふ神聖権威を中心とする共同体精神があったからである。

日本国は太古以来の伝統を保持する世界で最も保守的な国でありながら、常に新たなる変革を繰り返して来た国なのである。

その不動の核が天皇である。天皇国日本を愛する心を養ふことこそが日本国永遠の隆昌と世界の真の平和の基礎である。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



アフィリエイト

アフィリエイト

慶祝 昭和の日


エックスサーバー

エックスサーバー

永井 と (慶祝 昭和の日) 本日は「昭和の日」です。

4月29日は、昭和天皇がお産まれになった日です。

ご先祖様が代々伝えてきた、そして培ってきた文化と心を、次の世代に伝えていきましょう。

《佐賀県・御巡幸のお話》

佐賀県に因通寺というお寺があります。

この寺の洗心寮には、44名の引き揚げ孤児と戦災孤児がいました。

この地域は、共産主義者がたくさんいる地域で、特に敗戦後、暴動が起きる可能性がかなりありました。

因通寺の町では、陛下の行幸を歓迎する人と反対する人の対立が起きました。

反対派から何をされるか分からないので、歓迎する者も命がけの雰囲気です。

お迎えする町長や知事もです。ある町長は知事にこう言います。

『知事さん、私も息子を戦争で亡くしましたけれど、おそらく息子は『天皇陛下万歳』といって死んだにちがいありません。

その息子のことを思うと、陛下がおいでになるとき、父親としてじっとしていることができません。

せめて陛下がお出で頂くとき、気持ち良くしてくださるよう、みんなでこうして掃除をしているんです。

知事さん、心配されんでもいいですよ。至誠天に通ずですよ』。

5月24日、いよいよ因通寺に昭和天皇の御料車が向かわれます。

いろんな想いの群集から、「天皇陛下万歳、天皇陛下万歳」の声が自然と上がります。

陛下は、群集に帽子を振って応えられます。

そして陛下は門前から洗心寮に入られます。

子ども達は、それぞれの部屋でお待ちしていました。

陛下はそれぞれの部屋を丁寧に足を止められます。

「どこから」「満州から帰りました」「北朝鮮から帰りました」「ああ、そう」

「おいくつ」「七つです」「五つです」「立派にね。元気にね」

一人一人にお声をかけられます。

ひと部屋、ひと部屋と。

そして一番最後の部屋の「禅定の間」に進まれます。

陛下は、その時突然、ある一点を見詰めて佇まれます。

侍従長以下は、「何事があったのか」と足を留めます。

しばらくして、陛下は一人の女の子の方へお顔を向けられます。

『お父さん? お母さん?』と、お尋ねになる。女の子は、二つの位牌を胸に抱きしめていたのである。

女の子が、『はい。これは父と母の位牌です』と、返事します。

『どこで』『はい。父はソ満国境で名誉の戦死をしました。

母は、引き揚げの途中で、病気で亡くなりました』『お淋しい』

『いいえ。淋しいことはありません。私は仏の子どもです。

お父さんに会いたいと思うとき、お母さんに会いたいと思うとき、私は御仏さまの前に座ります。

そして、そっとお父さんの名前を呼びます。そっと、お母さんの名前を呼びます。

するとお父さんも、お母さんも、私のそばにやってきて、私をそっと抱いてくれるのです。

私は淋しいことはありません。私は仏の子どもです』と答えました。

陛下と女の子は、じっと見つめ合います。

陛下は部屋の中に入られ、女の子の頭を撫でられたのです。

陛下は、『仏の子どもはお幸せね。これからも立派に育っておくれよ』と申され、大粒の涙を流されました。

すると、女の子は、『お父さん』と呼ぶのです。多くの人たちは、言葉無く佇みます。

新聞記者までが、言葉を無くし一緒に涙を流したのです。

孤児院から出られるとき、子ども達が陛下の袖を持ち、『またきてね、お父さん』と言います。

陛下は、流れる涙を隠そうともせず、『うん、うん』とうなずかれお別れになられます。

そして後に、一首の歌が届けられました。

「みほとけの 教へまもりてすくすくと 生い育つべき 子らに幸あれ」

住職はこの昭和天皇陛下のお言葉をみなに響き聞かせようと、この御製を寺の梵鐘に鋳込ませました。

今でも因通寺に行くとこの梵鐘の響きが当たり一帯に響き渡るそうです。

洗心寮を出られたあと、長い坂の下でたくさんの人々が陛下を出迎えます。

陛下は遺族などと一人一人お話になり、進まれます。

その中に若い青年と思われる数十人の一団がありました。

シベリア抑留の時に洗脳され、共産主義国家樹立の為に共産党に入党した者達でした。

すごい形相でむしろ旗を立てて待ち構えていました。恐れていた事が起こる気配です。

周りの者が陛下をお守りしなければと駆けつける前に陛下は、その者達とお話になられます。

陛下はその者達に、『長い間、遠い外国でいろいろ苦労し大変であっただろうと思うとき、私の胸は痛むだけではなく、深く苦しみを共にするものであります。

日本という国がある限り、新しい方向に進むことを希望しています。

皆さんと共に手を携えて、新しい道を築き上げたいと思います。 ・・・』 と非常に長いお言葉を述べられます。

陛下の表情は自愛に溢れるものでした。

陛下の前に、一人の引き揚げ者が、にじり寄ります。『天皇陛下さま、ありがとうございました。

今頂いたお言葉で、私の胸の中は、晴れました。引き揚げてきたときは、着の身着のままでした。

戦争さえなかったら、こんなことにはならなかったと、思ったことも何度かありました。

そして、天皇陛下さまを、恨みました。しかし、苦しんでいるのは、私だけではなかった。

天皇陛下さまも、苦しんでいらっしゃることが、今、わかりました。

今日から、決して、世の中を呪いません。人を恨みません。

天皇陛下さまと一緒に、私も頑張ります』。

その時、すごい形相でむしろ旗を持っていた男が、不意に地面に手をつき泣き伏しました。

『こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。俺が間違っておった。俺が誤っておった。』と号泣するのです。

その男は、懐に短剣を忍ばせていたのです。泣きじゃくる男に、他の者達も号泣します。

じっと、皆を見詰めて動こうとされない陛下。

陛下のまなざしは深い慈愛に溢れ、お優しい目で見つめられます。

三谷侍従長が陛下のおそばに来て促され、ようやく陛下は歩を進められたのです。

陛下が涙を流された時、人々は知りました。

陛下も苦しまれ、悲しまれ、お一人ですべてお抱え込んでいらっしゃる事を。

陛下は、危険を顧みず全国御巡幸を続けられます。

そのお姿に、国民は「一丸となって、共に頑張ろう」と思ったのでした。

戦後のめざましい復興のエネルギーはここから生まれたのです。

晩年、昭和天皇は病床で「もう、駄目か」と言われます。

医師たちは、ご自分の命の事かと思いましたが、実は「沖縄訪問はもうだめか」と問われたのである。

最後の最後まで、国民を御思いになられる陛下でした。

戦後、日本は、何故、奇跡の復興を成し遂げられたのか?

それは、昭和天皇の足掛け8年半、約3万3000キロに及ぶ全国への御巡幸により、国民が一つにまとまったからです。

「天皇陛下、万歳!」(ヨシツネ氏のブログより)
【「永井 と」さま の投稿から頂きました。】



アフィリエイト

アフィリエイト

昭和天皇「國見」

昭和天皇武蔵野陵


エックスサーバー

エックスサーバー

昭和天皇は、國民を鼓舞激励し、祖國の復興を成し遂げるために、昭和二十一年二月二十日より二十九年まで満八年半をかけて、行程三萬三千キロ、総日数百六十五日間の地方御巡幸を行はせられた。

それは昭和天皇の「國見」であったと拝する。

「國見」とは、國土と國民の祝福し、國土の豊饒と國民の幸福を祈る祭事である。

昭和天皇は、敗戦によって疲弊した國土と國民の再生のための「祈りの旅」を行はせられたのである。

昭和天皇は、「戦災地視察」と題されて次のやうなお歌を詠ませられた。
【戦のわざはひうけし國民をおもふ心にいでたちて来ぬ】
【わざはひをわすれてわれを出むかふる民の心をうれしとぞ思ふ】
【國をおこすもとゐとみえてなりはひにいそしむ民の姿たのもし】

鈴木正男氏は、「敗戦國の帝王が、その戦争によって我が子を亡くし、我が家を焼かれ、その上に飢餓線上をさ迷ふ國民を慰め励ます旅に出かけるなどと云ふことは、古今東西の歴史に絶無のことであった。

アメリカをはじめとする連合軍は、恐らく天皇は國民から冷たく迎へられ、唾でもひっかけられるであらうと予想してゐた。

ところが、事実は逆であった。國民は熱狂して天皇を奉迎し、涙を流して萬歳を連呼した。

天皇の激励によってストは中止され、石炭は増産され、米の供出は進み、敗残の焦土の上ではあったが、國民は祖國再建の明るい希望に燃えて立ち上がった。」
(『昭和天皇のおほみうた』)と論じてをられる。

昭和天皇は、ご生涯をかけて日本國の天皇としての御使命を果たされたのである。

それはただただ國民の幸福と平和の実現であった。

そして昭和天皇が退位されずそのつとめを果たされたからこそ、戦後日本の復興と國民の幸福があり得たのである。

昭和天皇様は終戦直後に次のやうな御製を詠まれて國民を励まされた。
(昭和二十一年一月二十二日の歌會始でご発表)御年四十四歳。
【ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ】

敗戦の悲しみ・苦しみを降り積もる雪に喩へられ、松の緑が雪に覆はれても色を変へないで雄雄しくしてゐるやうに、日本國民もどのやうな困難に遭遇しても、くじけることなく雄雄しく生きていくことを望む、といふ大御心を示したまふたのである。

國家國民が戦勝國アメリカの占領下に置かれても、日本國民としての誇りを失ってはならないといふ御心を示された拝する。

この御製は國民への呼びかけであると共に、御自身の御決意の御表明でもあったと拝する。

昭和四十五年、昭和天皇は「七十歳になりて」と題され次のやうなお歌を詠ませられた。

【ななそぢを迎へたりけるこの朝も祈るはただに國のたひらぎ】

【よろこびもかなしみも民とともにして年はすぎゆきいまはななそぢ】

昭和天皇におかせられては、終戦以来、ただただ國家の平和と國民の幸福を祈り続けられたのである。
今日、日本國が存在し、日本民族が生きてゐるのは、実に喜びも悲しみも國民と共にされた昭和天皇の仁慈の大御心によるのである。

昭和天皇が御不例になられ、昭和六十三年九月二十二日、皇居坂下門をはじめ全國十二ヶ所の宮内庁施設で、「お見舞記帳」が開始されて以来、一般記帳者の数は、八百萬をはるかに超へた。

昭和六十四年一月七日午前六時三十三分、昭和天皇は宝算八十九歳をもって崩御あそばされた。

皇居前など全國の記帳所における記帳者は、一月七日から十六日までの間に二百三十三萬二千七百九十一人にのぼった。

一月二十二日から二十四日まで、殯宮一般拝礼が許されたが、三日間で三十三萬九千百人が拝礼を行った。

平成元年二月二十四日の御大喪の儀では、御轜車がお通りになる沿道には、氷雨の中五十七萬人余の人々がお見送り申し上げた。

日本國民の大多数は、昭和天皇が退位されずに日本國の君主としてその責任を果たされ続けられたことに対し奉り、満腔の敬意を表し感謝してゐたことは、この事実を見れば明らかなことである。

つねにご自分を無にして、國の安泰・民の幸福・五穀の豊穣を神に祈られる祭主・日本天皇は、権力や武力で國家・國民を支配と従はせるという覇者ではあらせられず、祭祀主としての信仰的権威と御徳によって國民をしろしめしてこられた。

わが國は、天皇を中心として発展し統一を保ってきた國である。

日本は、天皇中心の國體を護持しさらにその本当の姿を顕してこそ、正しく発展していく事が出来る。

昭和の歴史だけでなく、元冦や明治維新など、これまで幾度か起った大きな國難の歴史を見てもそれは明らかである。

日本國民は、昭和天皇の御遺徳を偲び、且つ、昭和の光輝ある歴史を回顧し、さらには、皇室を中心とするわが國の歴史と傳統に回帰するべきである。

戦後日本は、戦勝國の「日本つぶし」の嵐の中にあっても、たくましく生き抜き、経済復興を立派に遂げてきた。

この戦後日本復興の原動力は、つねに日本國民の幸福を願はれてきた昭和天皇の大御心である。そして、天皇を仰慕し、戦前・戦中を生きぬいて来られた多くの先人・先輩の方たちの血と汗のにじむご努力を私たちは忘れてはならない。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



アフィリエイト

アフィリエイト

御編著書『昭和天皇の大御歌』

昭和天皇の大御歌


エックスサーバー

エックスサーバー

本日、所功先生より、御編著書『昭和天皇の大御歌』をご恵送頂いた。心より感謝申し上げる。

これまで『昭和天皇御製集 おほうなばら』、夜久正雄氏著『歌人・今上天皇』、鈴木正男氏著『昭和天皇のおほみうた』を拝読した。

この度の、所功先生御編著書『昭和天皇の大御歌』には、昭和天皇のこれまで公表されてゐた八七二首の御製と、新発見の二七三首の御製が収められてゐると承る。

まことに有意義なことであると思ふ。

吉田茂、岸信介両氏を偲ばれる昭和天皇御製を感慨深く拝読させていただいた。

昭和天皇のこの二人の総理経験者に対する御信頼は篤かったと拝する。

昭和三十年十一月一日、昭和天皇が大磯の吉田茂私邸前を御通過になられた折のことを次のやうにお詠みになった。

「往きかへり枝折戸を見て思しひけりしばし相見ぬあるじいかにと」

昭和四十二年十月、吉田茂氏逝去の際の御製。

「君のいさをけふも思ふかなこの秋はさびしくなりぬ大磯の里」
「外国(とつくに)の人とむつみし君はなし思へばかなしこのをりふしに」

つい先日の会合で、ある学者と評論家の方が、吉田茂氏を痛烈に批判してゐた。

吉田氏が構築した「護憲安保体制」「吉田ドクトリン」が日本をおかしくしたといふ論旨であった。

朝鮮戦争さなかの昭和二十六年一月、アメリカのダレス国務長官は吉田首相に憲法改正を要請したが、吉田氏は拒否したと言はれてゐる。

また、講和発効の時「現行占領憲法」無効を宣言していれば良かったと言ふ人もゐる。

しかし、憲法学者の三潴信吾氏は平成十一年五月八日に開かれた『憲法懇話會』において、「自主憲法制定の基本方針」と題して講義され、次のやうに語られた。

「憲法改正より自主憲法制定が正しい。

吉田茂首相は自主憲法制定の意志があった。

二十八年の主権回復と共に、自由党として自主憲法制定をするとはっきり言って、自主憲法制定の組織を作るやうに岸信介氏に命じた。

吉田茂は憲法に手を付ける意図がなかったといふのは真っ赤な嘘。

高柳委員會以前に自由党の憲法調査會があった」と語った。

昭和二十七年十一月十日、今上天皇の立太子の礼の時、吉田茂総理大臣は寿詞(お祝ひの言葉)で、自らを「臣 茂」と読み上げた。

さらに、吉田茂氏は、昭和二十六年の「サンフランシスコ講和条約」調印式出席前後の心境について、

「唯奉勅使萬里外 五洲視聴聚一身 和議盟成桑港夕 飛龍直還扶桑晨」(ただ勅を奉じて萬里の外に使ひす 五洲の視聴は一身に聚る 議を和し盟成る桑港の夕 飛龍となって直ちに還る扶桑の晨)といふ漢詩を作った。

吉田茂氏は、天皇の勅命を奉じてアメリカに赴き「サンフランシスコ講和条約」を締結したといふ自覚を持ってゐたのである。

「現行占領憲法」には「主権在民」と規定され、曲學阿世の憲法學者の中には「日本の元首は内閣総理大臣だ」などと論ずる輩もゐるのに、吉田氏は天皇の臣下としての自覚と矜持を持ってゐた偉大なる尊皇政治家であり、まさに昭和の忠臣と言って良いであらう。

吉田茂氏は、漢詩を作ることができた。

今の政治家で漢詩を作る人は何人いるであらうか。

昭和天皇と吉田茂元総理との関係はまさに、「君臣水魚の交わり」に近い麗しい関係だったのではないかと、小生は考へる。

だからこそ、昭和天皇は、上に掲げさせていただいた御製を詠ませられたと拝察し奉る。吉田茂氏はこの御製を拝誦し感涙にむせんだのではないだらうか。

岸信介氏も尊皇精神の持ち主であった。

昭和六十二年七月十日、岸信介氏逝去の際の御製。

「國の爲務(つとめ)たる君秋またで世を去りにけりゆふべさみしく」
「その上に深き思ひをこめていひしことばのこしてきみきえにけり」(頭注)言葉は聲なき聲のことなり。

第一次安保騒動の時、アイゼンハワー米大統領の訪日延期を要請した時のことを、岸氏は次のように語ってゐる。

「あの頃警察官は本当に疲れ果てていた。機動隊の数も少なく、装備も悪いし、訓練もしていない。

陛下ご自身が(注・羽田にアイゼンハワーを)お迎えに行かれなければならない。

そういう警備を考える時、これはできない、

もし何かの間違いが生じたら、総理が本当に腹を切っても相済まない、それで私としてはどうしても警備に確信がもてないと思って(注・アイゼンハワー訪日を)断ったんです」(『岸信介の回想』。

羽田空港に大統領を出迎へに行っていただいた陛下の御身に萬一のことがあったら死んでも償い切れないといふことで、アイゼンハワー訪日延期を決定したのである。

そして岸内閣は総辞職した。

また、大東亜戦争中、サイパンが陥落した後の昭和十九年七月、岸氏が東條英機総理と決定的に対立した際、身分は一大佐である四方諒二東京憲兵隊長が、商工大臣である岸氏の家を訪れ、軍刀を立て、「東條総理大臣が右向け右、左向け左と言へば、閣僚はそれに従ふべきではないか、それを総理の意見に反対するとは何事か」と脅迫した。

岸氏はそれに対し、「黙れ兵隊!お前のようなことを言ふ者がゐるから、東條さんはこの頃評判が悪いのだ。
日本において右向け右、左向け左といふ力を持ってゐるのは天皇陛下だけではないか。

それを東條さん本人が言ふのならともかく、お前たちのようなわけのわからない兵隊が言ふとは何事だ、下がれ!」と一喝して追ひ返した。(『岸信介の回想』)

このやうに岸氏といふ人はきはめて強い尊皇精神と気骨を持った人であった。

今の政界にかういふ政治家はゐるだらうか。

吉田氏にも岸氏にも、「天皇の臣下」としての深く強い自覚と責任感があったのである。

政治家や官僚は、日本國の神聖なる君主であらせられ日本國民の道義心の鏡であらせられる日本天皇へのかしこみの心が基本になければならない。

政治家や官僚に「天皇の臣下」といふ自覚があれば、極悪非道なことはできない。

最近の政治家と官僚の質の低下は目を覆ひたくなる。

その根本原因は、彼らの道義心・正義感・使命感の欠如にある。

わが國の道義心・倫理観の根本は天皇への忠節の心と國を愛する心である。

現下日本の政治・行政の腐敗の根本原因は、政治家や官僚に「尊皇愛國の心」が希薄になってゐるからであると考へる。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



アフィリエイト

アフィリエイト

天皇の国家統治

天皇の国家統治


エックスサーバー

エックスサーバー

天皇の国家統治 =「きこしめす」と「しろしめす」の意義

天皇の国家統治の「統治」という言葉は言うまでもなく漢語即ち支那の言葉である。

これを<やまとことば>で言えば「しらす」「しろしめす」である。

「天皇が民の心を知りたまい民もまた天皇の御心を知る」ということが「統治」なのである。

祭り主たる天皇が民の心を知りそれを神に申し上げ、さらに神の心を承って民に知らしめることが天皇の国家統治の本質である。

このことによって「君と民とは相対立する存在ではなく、精神的に一体の関係にある信仰共同体」としての日本国が成立する。

萬葉集歌人・大伴家持はその長歌で、「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の國には…」(四0九四)と歌っている。

現代語に訳せば、「この豊葦原の瑞穂の國を、高天原より天降られまして御統治あそばされました皇祖邇邇藝命から御代を重ねられ、天津日嗣として天の下を御統治になった御歴代の天皇の御代御代、治められたこの四方の國は…」というほどの意である。

さらに『萬葉集』には、「泊瀬朝倉宮御宇天皇代」(はつせのあさくらのみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ)とか「高市岡本宮御宇天皇代」(たけちのをかもののみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ)と記されている。

天皇統治は、天の神の御委任により天の神の地上における御代理としての天皇が天の下をお治めになるという雄大なる神話的発想に基づくのである。

漢字表現は支那のものであっても、信仰自体は日本固有のものであって、神話時代より継承されてきたのである。

人為的に権力・武力によって民と国土を治めるのではなく、あくまでも神の御心のままに宗教的権威によって国民と国土を治めるというのが天皇の国家統治である。

<やまとことば>ではまた「統治」のことを「きこす」「きこしめす」(「聞く」の尊敬語)とも言う。天皇が民の心を聞かれるという意味である。

日本を統治するために天の神の命令により天から天降られた天孫邇邇藝命の父にあたられ、天照大神が邇邇藝命の前に地上に天降らせようとした神を正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと かむぬなかはみみ)と申し上げる。

さらに、神武天皇の御子・綏靖天皇を神沼河耳命と申し上げる。

日本国の統治者・君主は「耳で聞く」ことを大事にされていたので「耳」という御名を持たれたと思われる。
『古事記』には仁徳天皇の世を聖帝の世というと記されている。

仁徳天皇は、高い山に登って四方の国をご覧になり、「国の内に炊煙が立たないのは国民が貧しいからだ。これから三年間国民から税金を取るのをやめよう」と仰せられた天皇で、聖帝と讃えられた。

日本思想体系『古事記』の「補注」において佐伯有清氏は、「(聖帝の仼)『聖』とは、耳と呈(貞即ち正)から成り、耳聡く聞き分ける人、神秘的な洞察力のある人物。

農耕社会では時候の推移を洞察して農事を指導することが、対立する主張を聴取して調整することと共に、王たるべき者の責務であるから、聖と王とは結びつきやすい」と論じている。

また『角川当用漢字字源辞典』(加藤常賢・山田勝美著)によれば、「意味を表わす『耳』と『口』と、音を表す『壬』とからなる形声字。…耳の穴がよく開いていて普通人の耳に聞こえない神の声の聞こえる意。

…古代社会においては、普通人の聞きえない神の声を聞き分けうる人を『聖』と呼んだものであろう」という。

一般人が聞きえないことを聞く人というのは、聴覚器官が普通の人より発達している人ということではなく、神霊の声を聞く人ということであり、祭り主ということである。

神の声を聞いて民に伝え、民の声を聞いて神に申し上げるという神と人とをつなぐ役目を果たされる祭り主が天皇のなのである。

また、<やまとことば>の「ひじり」(漢字では聖と書く)とは、「日を知る人」の意であるという。

日とは文字通り太陽のことであり、天体の運行に通暁している人のことである。

天体の運行即ち暦は農業にとってきわめて重要である。

これを知っている人は農耕国家の君主たる資格を持つのである。

また「日」は「霊」であり、「ひじり」は「霊力を有する神聖な存在」という意味でもある。

『萬葉集』に収められた「近江の荒れたる都を過ぎし時、柿本人麿朝臣の作れる歌」という長歌の冒頭に、

「玉だすき 畝傍の山の 橿原の 日知の御代ゆ 生れましし 神のことごと つがの木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを…」とある。

これは「(『玉だすき』は畝傍にかかる枕詞仼)畝傍の山の橿原に都を開かれた日知りにまします(神武天皇の仼)御代以来、(『つがの木』はつぎにかかる枕詞仼)この世に降臨された現御神はことこどくみな天下を御統治になられたが…」というほどの意である。

ここにも「日知り」という言葉が登場する。

本居宣長は、「日知り」を「日の如くして天下を知らしめすといふ意なるべし」としている。

「日の神・太陽の神の如くわけへだて無く天下を統治される天皇の御代」を「日知りの御代」と言ったのである。

仁徳天皇と同じように聖帝とお讃え申し上げる先帝・昭和天皇陛下は、

【さしのぼる朝日の光りへだてなく世を照らさむぞ我がねがひなる】
とお詠みになっておられる。

これは文字通り、<日の御子><現御神>としての神人合一の無上の御境涯を高らかにお詠みになった尊い御製であると共に、「昭和天皇は、昭和二十一年元旦の詔書において『人間宣言』をされ、天皇は神から天皇になった」などという議論が全く誤りであることを証明する御製である。

ともかく、日本伝統の「ひじり」についての考えと支那の「聖」という字の意義とが結合して「聖帝」という考えが生まれたのである。

このように民の心を知りたまい(しろしめす)聞きたまう(きこしめす)ことが天皇の国家統治の基本なのである。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



アフィリエイト

アフィリエイト

柿本人麻呂の現御神信仰の歌

-柿本人麻呂



エックスサーバー

エックスサーバー

柿本人麻呂の現御神信仰の歌

萬葉の大歌人・柿本人麻呂は、「輕(かるの)皇子(みこ)の安騎(あきの)野(の)に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌」といふ長歌の冒頭で、

「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子(みこ) 神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと…」と歌ってゐる。

「やすらけくたいらけく四方八方を御統治あそばされるわが大君、高く照らすわが日の神の皇子は、神様であるままに、神様らしく振る舞はれるべく」といふ意である。

これは、現御神日本天皇の御本質を表現してゐる。

日本天皇は武力で空間を制圧して國家を治められてゐるのではなく、天照大御神の御子、地上におけるご代理としての神聖なる権威によって治められてゐる。

そしてその根幹の行事が天地の神々を祭られる<天皇の祭祀>である。

稲作生活を営む日本民族にとって太陽はなくてはならぬ存在であるので、わが國では、日の神信仰(太陽信仰)は特に強固である。

故に、日本の最尊最貴の神は日の神たる天照大御神なのである。

その日の神の御子が「祭り主・日本天皇」であらせられる。

天皇は國民を統率し國民を代表して、神に祈り神を祭り、神の御命令を民に伝へる役目を果たされる。

ゆへに、民から拝すれば地上における神の御代理即ち現御神であらせられる。

天皇が日の神の御子として國家を統治されるといふ御自覚は、「記紀」「萬葉」の昔だけでなく、御歴代の天皇に一貫してゐる。

聖徳太子は隋の煬帝に出した國書(國の元首が、その國の名をもって出す外交文書)に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」と記し、「日本天皇は日の神の御子である」といふ信仰を高らかにうたひあげた。

当時の先進國・隋に対して、このやうな堂々とした國書を提出したのである。

聖徳太子の偉大なる御事績を拝して明らかな如く、「天皇は日の神の御子であるといふ思想は七世紀中頃、即ち大化改新以後につくりあげられた」といふ説は、大きな誤りである。

第百十六代・桃園天皇(江戸中期)は、

「もろおみの 朕(われ)をあふぐも 天てらす 皇(すめら)御神(みかみ)の 光とぞ思ふ」

といふ御製を詠ませられてゐる。

天皇が御即位の大礼において、高御座に上られ、天下万民の前にお姿を現されるお姿は、「冕冠・大袖」である。「冕冠」は、『古事談』によると、応神天皇以来のものとされ、中央に金烏を描いた放射状の日像(ひがた)を立てる。

これはまさしく日の御子のお姿である。つまり即位式において、天皇が高御座に登られるのは、新しい太陽神の地上における御誕生なのである。

また、大嘗祭における鎮魂のみ祭りも、「日の神」として天皇のご神格の再生の祭りと承る。


【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】


アフィリエイト

アフィリエイト

大東亞共同宣言

大東亞共同宣言



エックスサーバー

エックスサーバー

昭和18(1943)年11月6日「大東亜会議」にて採択された『大東亞共同宣言』には次のように記されている。

抑々世界各國ガ各其ノ所ヲ得相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ

然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞ウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス

大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス
一、 大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス

一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス

一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス

一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ增進ス

一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス

東  條  英  機
汪    兆    銘
ワンワイタヤコーン
張    景    惠
ホ セ、ラ ウ レ ル
エ ヌ、バ ー モ ウ


かくのごとき理想のを掲げて大東亜の戦いを遂行したのであるが、平成5(1993)年秋のAPECのシアトル会議で採択された「アジア・太平洋経済協力貿易・投資枠組み宣言」の中には次のことが明記された。


一、 アジア・太平洋地域の開かれた地域主義と市場経済に基づく相互依存関係の一層の発展に努力する。
一、 各国の発展的段階や社会政治体制の相違を認識するとともに、途上国の要望にも十分配慮する。
一、 世界の貿易・投資に関し、APECが活力ある相互依存のビジョンを示し、域内の相互利益を代表することを、世界に示す。



これらの内容は、まさに『大東亜共同宣言』において示した、アジア諸国がお互いの自主独立を尊重しながら、かつ互恵の精神で緊密な協力の下に経済的発展を実現し世界に寄与するとの理想をそのまま受け継いでいると言える。

大東亜戦争において掲げられた理想は半世紀を経て実現化の大きな一歩を踏み出したと言っても過言ではない。

大東亜戦争における英霊の輝かしい行為がアジアを世界の中心舞台に登場させ、21世紀を主導する力を与えたのである。

日本は今日、亡國の危機にさらされている。

それは歴史への誇りを喪失したことが原因である。

昭和十六年十二月八日の一億の感激は、歴史から抹殺することもできなければ否定することもできない。

況や「大東亜戦争は日本の一方的な侵略であった。間違っていた」などと言うのはあまりにも僭越であり、靖國の英霊も、そして銃後でアメリカ軍の爆撃などによって斃れた無辜の國民も、ソ連に抑留され彼の地で非業の最期を遂げた多くの同胞も、さらに大東亜戦争に協力して戦ひ戦死された多くの東亜同胞も、犬死だったということになる。

欧米列強からの独立・解放が日本の努力とアジア諸民族の奮闘によって實現した今日、アジアにおいて大東亜共栄圏に近いものが生み出されてつつある。

『大東亜共同宣言』に謳われた理想は今こそ完全に實現されなければならない。

問題は、日本國民の多くがいまだに敗戦後遺症から脱却できないでいることである。

これを正す事が今日最も大切であると信ずる。

「極東国際軍事裁判」は、“法の真理”に照らして完全に間違ったものであった。

「平和と人道に対する罪=侵略戦争遂行の犯罪」「共同謀議の罪」を新たに作り、勝者が敗者を問答無用的に断罪した。

しかし、そもそもそのような概念は、戦争が開始された時にも、終戦時にも、裁判後にも定着しなかった。

つまり人類の貴重な法文化たる法原則=「罪刑法定主義」の原則に全く反して被告を断罪したのである。

裁判とは名ばかりの非常の野蛮で公平性を全く喪失した戦勝国による一方的な復讐劇=リンチが東京国際軍事裁判であったのである。

「東京裁判史観」とは、極東國際軍事裁判の多数判決即ち六人の判事の西欧列強のアジア侵略を正当化するためにわが國の行為を一方的に処断したにすぎない全く虚妄の「判決」を正しいとする歴史観である。

戦争については國家意思が何処にあったかで判断すべきである。

『開戦の詔書』には『自存自衛』『東亜の安定の確保』『世界の平和に寄与』『萬邦共栄の楽を偕にする』と示されている。

白色人種の植民地だった東亜の解放が戦争目的だったのである。

我ら日本人は、日本が白人優位の世界秩序を変えたことを誇りに思わなければならない。

その國の國民が祖國の歴史を如何に見るかは、その國の将来を決定する要素である。

反省と謝罪の意識に責め苛まれる日本は亡國の道を歩むしかない。

日本の國を愛し、日本の國の歴史に誇りを持つことが、今後の日本の発展と國民の幸福の基礎である。

日本は白人と戦いアジアを三百年の白人支配から救った。

昭和十八年にアジア諸国は独立した。

戦後独立したというのは誤りである。

インパール作戦はインド独立のための戦いであった。

インドに顕彰碑がある。

マレーシア人は日本軍は白人と華僑の搾取と支配から解放してくれたと思っている。

東京裁判史観とは、東京裁判の判決が正しく、日本は東南アジアおよび南方を略取しようとして共同謀議をしたという歴史観である。

極東国際軍事裁判で「日本無罪論」の判決を書いたインドのパール判事は、「時が熱狂と偏見とをやはらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変へることを要求するであらう」と、判決文の最後に書いた。

にもかかわらず、日本国民自身が偏見」と「虚偽」から脱出することができないでいる。

歴史を大観すれば、明治維新、日清・日露両戦争、満洲事変、支那事変、そして大東亜戦争は、まさに幕末以来の尊皇攘夷の戦い即ち西欧列強によるアジア侵略支配を打破する戦いであったのである。

このことをわが国民は正しく認識し理解し、「過去の賞罰の多くにその所を変へる時代」の招来を期するべきである。

戦争については國家意思が何処にあったかで判断すべきである。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



アフィリエイト

アフィリエイト

「日出づる國」への誇り・祖國へ愛を歌った山上憶良の歌

遣唐使



エックスサーバー

エックスサーバー

「日出づる國」への誇り・祖國へ愛を歌った山上憶良の歌

新元号「令和」の典拠になった『萬葉集』の巻五に収められた「梅花(うめのはな)の歌三十二首」の中に作品がある山上憶良が祖國愛を歌った歌は次の歌である。

古代の日本人が、日本といふ國に対して如何なる思ひを抱いてゐたかは、「やまと歌」を讀めば正しく理解できる。

山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)、大唐(もろこし)に在りし時、本郷(もとつくに)を憶(おも)ひて作れる歌

いざ子ども はやく日本(やまと)へ 大伴(おほとも)の 御津(みつ)の濱松 待ち戀ひぬらむ

「さあ、皆の者よ、早く日本へ帰らう、大伴の御津の濱松も、さぞ待ちわびてゐるであらうから」といふ意。

山上憶良が、支那にゐた時、祖國を恋ひ慕って作った歌。

山上憶良は、斉明六年(六六〇)~天平五(七三三)年。

萬葉集代表歌人の一人。大宝元年(七〇一)に三十五年ぶりに遣唐使が復活し、憶良は遣唐少録に任命された

。翌大宝二年、四十二歳の時に渡唐。
慶雲四年(七〇七)帰國。
晩年の歌が多い。

「大唐」は支那のこと。
「本郷」は祖國日本のこと。
「いざ」は、人を誘ひ自らも行動を起こそうとする時に発する言葉。
「子ども」は、年下あるいは目下の親しい人々に対する呼び掛けの言葉。

「日本」は日本全体を指す。
「大伴の御津」は、大阪市南部から堺市にかけての一帯(摂南といふ)の難波の津(港)のこと。
この辺りは大伴氏及びその配下の久米氏が領有してゐた地であったから「大伴の」といふ。ここから遣唐使の船や九州などに行く船が出発した
。唐にゐた憶良にとって、この港は祖國の門戸であった。

遣唐使が支那へ行くルートは、

①今日の大阪から瀬戸内海を通って行き、壱岐・対馬に寄りながら朝鮮半島の西側を通って、山東半島に上陸するルート、
②能登半島から出発して沿海州に上陸するルート、
③長崎や鹿児島などから出発して支那の楊州や越州に上陸するルートがあったといふ。

「濱松待ち戀ひぬらむ」は、松が擬人化されてゐる。
懐かしい祖國日本の海岸の松の風景を目に浮かべて歌ってゐる。
また、「御津の濱松」は下の「待ち戀ひぬらむ」を出すための序詞といふ説もある。

「日本」といふ漢字に「やまと」といふ傍訓を付したところにこの歌の重要性がある。

「日本」とは「日の昇る國」といふ意味である。

聖徳太子は、推古天皇十五年(六〇七)、小野妹子を遣隋使として支那に遣はされ、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」といふ國書を隋の煬帝に呈した。

日本國の誇りを高らかに宣揚し、アジアの大帝國・隋に対して、対等どころか大いなる自尊心をもって相対された。
その御精神が憶良に引き継がれてゐるのである。

聖徳太子は外来宗教たる仏教を信仰せられ、日本に広く受容することに貢献された方であるが、日本人としての素晴らしい御自覚・自負心をお持ちになられてゐたのである。

憶良もまた、唐において色々なことを学びこれから帰國しようといふ時に、「早く日本へ」と歌ひあげたのである。

「早く日本へ」といふ言葉に、「日没する國」にゐる憶良の「日出づる國」への恋慕と誇りの思ひが込められてゐる。

憶良は、唐との対比において日本を自覚し、祖國への愛・日本人としての誇りを歌ったのである。

それは、わが國は、太陽の昇る國であり、太陽神たる天照大神を祖神として仰ぎ、天照大神の生みの子たる天皇を君主として戴く國であるといふ大いなる自覚である。

この歌は望郷の歌であると共に、日本精神・愛國精神謳歌の歌である。

聖徳太子や山上憶良の精神は、支那や朝鮮に対する卑屈な態度とることが多い今日政治家に見習ってもらいたい。

やはり民族勃興期・國家建設期の日本は素晴らしい人がゐたと言ふべきである。

また、憶良には、自分たちが早く日本へ帰りたいといふ思ひと共に、自分たちが学んだ学問を早く祖國へ持ち帰って祖國の役に立てたいといふ思ひもあったと思はれる。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



アフィリエイト

アフィリエイト

天孫降臨

天孫降臨



エックスサーバー

エックスサーバー

新たなる天皇のご即位は天孫降臨の繰り返しである

保田與重郎氏は、「天降(あも)りの原義は、天皇陛下の御即位は、天孫降臨を新しい代替りごとに再現される儀式にて、しかも天皇陛下の御生存御在位中は、つねづね、この『天降り』の持續した状態である。

だから御代はかはっても、天皇陛下はつねに御一方であるとされてきた」(『萬葉集名歌選釋』)と論じてゐる。

われわれ日本民族は、天皇をただ単に神武天皇の肉體的御子孫として仰いできたのではなく、天照大神の生みの御子・地上における御代理・御顕現即ち現御神として仰いで来たのである。

歴代天皇お一方お一方が、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、現御神であらせられる。

この信仰を〈歴聖一如〉と申し上げる。

折口信夫氏は、「古代日本の考へ方によれば、血統上では、先帝から今上天皇が皇位を繼承した事になるが信仰上からは、先帝も今上も皆同一で、斉しく天照大御神の御孫で居られる。

決して、天照大御神の末の子孫の方々といふ意味ではなく、御孫といふ事である。

天照大御神との御関係は、にゝぎの尊も、神武天皇も、今上天皇も同一である」
(『大嘗祭の本義』)と論じてゐる。

この「歴聖一如」といはれる天皇信仰は、折口信夫氏の直感でも独断でもなく、また、昭和十年代といふ時代を背景として考へ出された論議でもなく、古代以来のわが國の傳統信仰である。

『古事記』『萬葉集』にも語られ歌はれてゐる。

平田篤胤は、「わが天皇命の高御座は、天照大御神の、萬千秋之長五百秋(ヨロヅチアキノナガイホアキ)に、所地看(シロシメ)せと依賜へる御座なる故に、その高御座に位(マ)すは、御孫ながらに、御代御代、天ツ神ノ御子と申し奉ることなり。
此はその高御座に位(マシマ)すは、即天照大御神の御子に坐せばなり。」
(『靈の眞柱』)と論じてゐる。

日蓮は、「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」
(『高橋入道殿御返事』)と論じてゐる。

吉田兼好は「帝の御位はいともかしこし、竹の園生の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき」(『徒然草』)と述べてゐる。

「竹の園生」とは皇族の御事である。

皇族すべてが「人間の種」ではないといふ信仰である。

天皇のお體には天照大御神の神靈がお入りになってをり、天照大御神の地上的御顕現であるといふ信仰が古代以来の現御神信仰である。

日本天皇は、天照大御神の「生みの御子「地上的御顕現」=現御神であらせられるのである。

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられてゐるのである

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。

天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

女帝は祭祀を行ひ得ないし行ってはならないといふのはわが國の傳統とは相容れない思想であり事實に反する現御神信仰は古代以来近世・近代に至るまで正しく繼承されてきた。

第百十六代・桃園天皇は、
「もろおみの朕(われ)をあふぐも天てらす皇御神(すめらみかみ)の光とぞおもふ」と詠ませられてゐる。

第百十七代・後櫻町天皇は、
「まもれなほ伊勢の内外(うちと)の宮ばしら天つ日つぎの末ながき世を」と詠ませられてゐる。

後櫻町天皇は女帝であらせられる。

後櫻町天皇は第百十五代・櫻町天皇の第二皇女であらせられる。

江戸時代の宝暦十三年(一七六三)に即位。

地上において天照大神の御代理としての御資格を有される天皇は、血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承するが、信仰上は、先帝も今上天皇も天照大神の御神靈が体内に天降ってきておられ、全く同じ御資格なのである。

御肉身が男性であらせられやうと女性であらせられやうとその御本質には全く変りはないのである。

現實に崩御された天皇の神靈は一旦天にお帰りになる。

しかし天にお帰りになった神靈は再び新しい天皇の御身体に天降って来られる。

ゆゑに、天照大神の御神靈と一体の御存在であるといふことにおいては、邇邇藝命も神武天皇も歴代天皇も今上天皇も全く同一なのである。

天皇を、「天照大神の御魂の入りかはらせたまふ王」と申し上げるのは以上のやうな信仰を表現してゐるのである。

神靈が天皇の御身体に天降り一体となるお祭りが、毎年行はれる新嘗祭である。

そして、即位後初めて行はれる新嘗祭を大嘗祭と申し上げる。

譲位あるいは崩御によって、天皇の肉身はお替はりになっても、天皇の御神靈=大御命(おほみいのち)は永遠に不滅なのである。

新帝の御即位は、天皇の御神靈が新しき肉身に宿りたまひ復活されたといふことなのである。
新たなる天皇が即位されることは天孫降臨の繰り返しである。

これは永遠の繰り返されるのである。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



アフィリエイト

アフィリエイト

古代信仰・民族信仰が脈々と生きている

即位礼正殿の儀



エックスサーバー

エックスサーバー

わが日本おいては、これだけ科学技術が進歩し物質文明が豊かになってゐる今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きており、伊勢の神宮をはじめとした全国各地の神社で毎日のやうにお祭りが行はれてゐる。

のみならず日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。

そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の君主として君臨あそばされてゐる。

このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきてゐる国である。

これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

日本の歴史と傳統は、天皇によって体現される。日本文化の一体性・連続性の窮極の中心者が天皇である。

日本文化傳統の核である祭祀を司ってをられるお方が天皇であらせられる。

天皇は、日本の歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の中心者であらせられる。

日本の神話は、天皇の祭祀によって生きた現実として太古より今日まで継承されてきてゐる。

世界に国家多しといへども、建国以来、国家元首が祭祀を行ひ続けてゐる国は日本のみである。

宮中祭祀は、現代に生きる神話であり、文化・文藝・政治・経済・宗教など人間のあらゆる「いとなみ」を聖化し「いとなみ」の模範となる行事である。

新嘗祭をはじめとした宮中祭祀には、日本民族の傳統的世界観・国家観・人間観・神観が示されてをり、日本文化の中核である。

祭祀は、原初・始原への回帰であり、天地宇宙開闢への回帰である。

それがそのまま新生となり革新となる。

決定的な危機に際して、「原初の神話」を繰り返すことによってこれを打開する。

宮中祭祀を中核とする日本の祭祀は、自然神と祖霊を祀る行事である。

今日、公害・自然破壊・核兵器など物質文明・近代科学技術文明が生んだ様々な「悪」によって人類全体が大きな危機に瀕してゐる。

科学技術文明が徹底的に生態系を破壊せんとしてゐる。

文明の進歩によってかへって人間の生命が蝕まれ精神が荒廃してゐる。

かかる状況を打開するためには、イデオロギーや特定の教義によるのではなく、自然と共に生きるといふ日本傳統信仰を回復し、自然と人間に宿る生命を護る態度を養ふことが大切である。

宮中祭祀を中核とする日本傳統信仰の祭祀こそ、その原基となるのである。

現代日本の汚れを祓い清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。

日本は伝統と変革が共存し同一なのである。

だから維新を<復古即革新>というのである。

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇陛下そして皇室のご存在があってこそ、日本国は安定と平和が保たれる。

今日の日本は亡国の淵に立たされているかの如き状況である。

しかし、天皇・皇室がおわします限り日本国は安泰である。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



アフィリエイト

アフィリエイト