
国家存立の基礎を揺るがす国民主権論
天皇と国民と国土は霊的・魂的に一体の関係にある。
今日、何かと言うと「国民主権」ということが強調される。
この「国民主権」というのは、君主と国民が政治権力を争った西洋において生まれた思想である。
日本国においては、君主と国民とは対立関係にあるのではないし国家と国民も対立関係にあるのではないことは、日本神話に示されてゐる。
神話とは、現実の歴史を反映し理想化して描いた物語であり伝承である。
日本国の祭祀的統一の歴史が、神話において物語られた。
村岡典嗣氏は、「(国家の神的起源思想の特色として・註)国家成立の三要素たる国土、主權者及び人民に對する血族的起源の思想が存する。
即ち皇祖神たる天照大神や青人草の祖たる八百万神はもとより、大八洲の国土そのものまでも、同じ諾册二神から生れでたはらからであるとの考へである。
吾人は太古の国家主義が実に天皇至上主義と道義的關係に於いて存し、天皇即国家といふのが太古人の天皇觀であったことを知る。
皇祖神が国土、人民とともに二神から生れ、而も嫡子であると考へられたのはやがて之を意味するので、換言すれば天皇中心の国家主義といふに外ならない。」
「日本の國家を形成せる國土(即ち大八洲)と元首(天照大神)と、而してまた國民(諸神)とが、同じ祖神からの神的また血的起源であるといふことである」
(『日本思想史研究』四)と論じてゐる。
岐美二神はお互ひに「あなにやし、えをとめを」「あなにやし、えをとこを」(『本当にいい女ですね』『本当にいい女ですね』)と唱和されて、国生みを行はれた。
二神の「むすび」「愛」によって国土が生成されたのである。
国土ばかりではなく、日本国民の祖たる八百萬の神々もそして自然物も全て岐美二神のよって生まれたのである。
国土も自然も人も全てが神の命のあらはれであり、神霊的に一体なのである。
これが我が国太古からの国土観・人間観・自然観である。
日本神話においては、天地が神によって創造されたのではなく、岐美二神の「愛・むすび」によって国土が生まれた。つまり神と国土・自然・人間は相対立し支配被支配の関係にあるのではなく、神霊的に一体の関係にあるのである。
ここに日本神話の深い意義がある。
神と人とが契約を結び、神は天地を創造し支配するといふユダヤ神話と全く異なる。
伊耶那岐命は伊耶那美命に「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。
故(註・かれ。だからの意)この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合はぬ処に、刺し塞ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまふた。
伊耶那岐命が「国土を生みなさむ」と申されてゐるところに日本神話の素晴らしさがある。
中西進氏は、「(世界各地の神話は・註)人類最初の男女神は、人間を生んでいる。
國を生むのではない。ところが、日本神話ではそれが國生みに結び付けられ、国土創造の話に転換されている。
これは日本神話の特色で…」(『天つ神の世界』)と論じられてゐる。
岐美二神は、単に大地の創造されたのではなく、国土の生成されたのである。
太古の日本人は劫初から、国家意識が確立してゐたのである。
世界の他の国よりも我が国は国家観念が強かったといへる。
この場合の「国家」とは権力機構としての国家ではないことは言ふまでもない。
日本国と全く国柄・歴史が異なる西洋の憲法思想たる国民主権論をわが國の憲法思想にしてはならない
天皇と国民と国土の関係は、対立関係・支配被支配の関係にあるのではない。
契約関係・法律関係にあるのでもない。
霊的魂的に一体の関係にある。
これを「君民一体の国柄」といふ。
しかるに今日の多くの政治家や学者やマスコミは、相変らず外来思想である「君主と対立する人民が國家の主権者である」といふ「國民主権論」をとり、わが國の國家傳統の破壊しやうとしてゐる。
それが一般國民の常識となって浸透してゐることは實に以て、國家存立の基礎を揺るがす事實である。
さらに憲法論においても、重大な問題がある。
西洋成文憲法は権力に対する制限規範である。
「権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。
イングランド最悪の王と言われるジョン王と諸侯との間で結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、『国王も法の下にある』といふ原則=『法は王権に優越する』といふ法治主義を確立した」とされる。
しかし、日本天皇の国家統治の本質は、権力・武力による国家・国民支配ではない。
神聖なる権威による統治である。
むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。
それがわが国の建国以来の國體であり歴史である。
また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の法である。
天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。
また、わが國の最高の成文憲法は、「天壌無窮の御神勅」である。
「現行占領憲法」は、その法思想・理念もアメリカの押し付けであるから、「マグナ・カルタ」を起源とする西洋成文憲法思想に貫かれてゐる。
日本天皇は、権力を濫用して国民を苦しめるジョン王などの西洋専制君主とは全くその本質を異にする。
『現行憲法』は、わが國體とは相容れない。
日本国と全く国の成り立ち・国柄・歴史が異なる西洋の憲法思想をわが國の憲法思想にしてはならない。
「日本神話の精神」は西洋思想の行きづまりを原因とする世界的危機打開の力を持つ。
何故、日本国は神聖なる国であるのか、それは「日本国は神が生みたまふた神の國である」といふ「神話の精神」によるのである。
何故、天皇は神聖なる御存在であるのか、それは「天皇は天照大神の地上に於ける御代理であらせられる」といふ「神話の精神」によるのである。
また、何故天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは「天皇は天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられる」といふ「神話の精神」によるのである。
古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変はることはないのである。
「神話の精神」と言ふと非科學的だとか歴史的事実ではないと主張してこれを否定する人がゐる。
しかし、神話において語られてゐるのは、一切のものごとの生成の根源であり古代人の英知の結晶であり、神話的真実である。
神話には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られてゐる。
そして「日本神話の精神」は西洋科学技術文明及び排他独善の一神教を淵源とする闘争的な西洋政治思想の行きづまりが原因となった全世界的危機を打開する力を持ってゐる。
天皇を君主と仰ぐ日本の国柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで続いてきてゐる。
ところが外国では、太古の王家も古代国家もそして古代民族信仰もとっくに姿を消し、その後に現れた王家は武力による征服者であり、その後に現れた国家は権力国家であり、その後に現れた信仰は排他的な教団宗教である。
古代オリエントや古代シナにおいては、祭祀を中心とする共同体が武力征服王朝によって破壊されてしまった。
共同体を奪はれ祭りを喪失したよるべなき人々は、貨幣や武力に頼らざるを得なくなり、権力国家・武力支配国家を形成した。
それに比してわが日本は、古代からの祭祀主を中心とする共同体国家が、外国からの武力侵略によって破壊されることがなく、今日も続いている唯一の国なのである。
皇室祭祀だけでなく、全国各地で一般国民が参加する祭祀が続けられてゐる。まことにありがたき事実である。
我が国は、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、現実の国家の君主と仰ぎ、国家と民族の統一の中心として仰いでゐる。
かうした事実は西洋諸国やシナと日本国との決定的違ひである。
長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも国が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇といふ神聖権威を中心とする共同体精神があったからである。
日本国は太古以来の伝統を保持する世界で最も保守的な国でありながら、常に新たなる変革を繰り返して来た国なのである。
その不動の核が天皇である。天皇国日本を愛する心を養ふことこそが日本国永遠の隆昌と世界の真の平和の基礎である。
【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】


