悪夢の民主党鳩山・小沢政権


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『そして、立憲民主党へ 1』
(1) 第1次安倍内閣時代だったか、米議会は従軍慰安婦問題に関する対日非難決議案を可決する。

中韓共謀のロビー活動の成果だろうが、日米同盟が危機に晒された。

C国は米国をアジアから追い出すため、日米同盟と米韓同盟に楔を打ち込み、日韓を米国から引き剥がし、C国の影響下に置こうと企む。

アフガン・イラク戦争に忙殺されていた米国の隙をつくC国の引き剥がし作戦は見事に成功した。

日本では悪夢の民主党鳩山・小沢政権を誕生させ、K国では李明博政権を籠絡した。

密入国や不法滞在で日本に住み着いたK国人が帰化して日本人となる。

彼らは日本の左翼を取り込み、日本弱体化工作を延々と続け、遂に帰化人主導の悪夢の民主党政権が誕生する。

誕生した鳩山政権の正体は、当時はイマイチ不明だったが、間もなく、左翼活動家・日教組・社会党の残党・市民運動家等と帰化人が手を組んだ反日売国の政権であることが明らかにされた。

そんな鳩山政権を作り、日本の政治を事実上支配したのが、小沢一郎。

理念とは無縁の小沢一郎は、権力を手に入れるため、日本を危機的状況に陥れようと目論む共産主義勢力と手を組み、鳩山政権を作り上げる。

地方組織は盤石には遠い民主党だが、共産主義に染まった自治労と日教組を手足のごとく使うことができた小沢一郎は、2009年の衆院選で自民党が強いと言われた地方選挙に勝利して、剛腕を見せつける。

共産主義者主導の勢力が、既にマスメディアの中枢にまで根を張りめぐらせていたためだろうか。

マスメディアは共産主義勢力と手を組んだ小沢一郎を攻撃しない。

小沢一郎は政党金やゼネコン汚職で手に入れた35億円もの大金を追求されることなく、枕を高くして眠ることができたが、好事魔多し。

小沢が予期しなかった政治資金収支報告書の虚偽記載問題で小沢の公設秘書と元秘書の3人が逮捕され、直後の衆院選挙で子分の大半を失う。

【日本再興会 吉野 一道 先生のご投稿から頂きました。】



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『現行占領憲法』の「似非平和主義」は悪徳の思想である


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『現行占領憲法』の「似非平和主義」は悪徳の思想である

今日、ロシア、共産支那そして南北朝鮮のわが国に対する軍事的圧迫・恫喝はますますひどくなっている。これを断固として跳ね返すことが国家緊急の課題である。

ニコライ・ベルジャーエフ(注・ロシアの哲学者。)

マルキストであったが、ロシア革命を経て転向し、反共産主義者となる。

神秘主義に基づき文化や歴史の問題を論じた。

十月革命後にパリに亡命。1874年-1948年)は次のように論じている。

「戦争を大なる悪、大なる罪として弾劾せざるをえないにしても、別な極端に堕して断然抽象的な平和主義に懸命になることはいましめなければならない。

われわれの世界が現存しているこの悪の状態においては、戦争はより小なる罪禍である得る。帝国主義的征服戦争、圧制戦争が絶対的に悪いにしても、解放戦争、自衛戦争はたんに義認されるのみでなく神聖とみなされる。

忍耐は一美徳ではある。

しかし忍耐がかえって悪を鼓舞することに役立つ場合には、悪徳に変わりうるわけである。

戦争の完全放棄は、人間社会の精神状況の変化と社会秩序の改革の結果としてのみ可能である」(『神と人間の実存的弁証法』)。

この主張は、『現行占領憲法』の「似非平和主義」への批判になっている。

『現行占領憲法』前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文章こそ「極端に堕した断然抽象的な平和主義」である。

現実を無視した『現行占領憲法』の「似非平和主義」はまさにベルジャーエフの云う通り、「忍耐がかえって悪を鼓舞することに役立つ場合には、悪徳に変わりうる」のである。

『現行占領憲法』の「似非平和主義」は悪徳の思想である。

今日の国際社会は「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる」などということはない。

「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視して」いる。

冒頭に記したようにもロシア・共産支那・南北朝鮮は、「専制と隷従、圧迫と偏狭」を地上に拡散し、「自国のことのみに専念して他国を無視」している国々である。

そんな国々に「公正と信義」などというものはカケラもない。

存在しないのもに「信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」などということは全く危険千万の考えであり祖国を滅亡へと導く。

だから「現行占領憲法」を「亡国憲法」と言うのである。

「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めて」などということとは全く逆のこと、即ち「戦争を好み、専制と隷従、圧迫と偏狭」を自国民そして隣国に強い、「帝国主義的征服戦争、圧制戦争」を行う共産支那・北朝鮮を「近隣国家」に持つわが国は、義認されるのみでなく神聖とみなされる自衛戦争を行う権利があるである。

わが国の憲法にはそのことが正しく書かれていなければならない。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



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日本を亡国へ導く元凶


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立憲民主党・共産党・偏向メディア・日教組など左翼勢力は、日本を亡国へ導く元凶である。

立憲民主党・共産党・偏向メディア・日教組など左翼勢力は、反日運動・似非平和運動を行っている。

こういう連中こそ、日本を亡国へ導く元凶である。

「平和」「民主主義」を声高に主張する者どもこそ、侵略国家の手先であり、真の平和を破壊し、民主政治を蹂躙する勢力である。

朝日新聞などの左翼変更マスコミ、似非人権運動家・似非平和運動家は、祖国日本やアメリカやドイツの戦争行為に対しては厳しい批判や抗議をおこなっても、旧ソ連・共産支那・北朝鮮の侵略行為・残虐行為・人権侵害がいかに酷くても、何の批判も抗議もしない。

断じて許し難い。

彼らの平和運動・人権運動・歴史問題への取り組みは、侵略国家・共産支那に手を貸し、祖国日本の解体を目的とする偽装運動である。

彼らは日本軍の戦時中のことを野良犬のように嗅ぎ回って問題にする。

ところが旧ソ連によるわが同胞殺戮・強姦・シベリアへの拉致・十万人以上の大量殺戮は全く問題にしない。

また、今日唯今行われている共産支那による香港、チベット、モンゴル、東トルキスタンなどにおける蛮行も問題にしない。

こういう者共を平和の敵・売国奴と言わずして何と言うのか。

戦後日本の平和はアメリカから押し付けられた憲法の「似非平和主義」によって守られてきたのでない。

アメリカの軍事力があったから、そして自衛隊の存在があったから、旧ソ連・共産支那・北朝鮮によって核攻撃も受けず武力侵攻もされず、平和と安全を保つことができたのである。

支那もロシアも北朝鮮も核武装し強大な軍事力を持っているだから、我が国も核武装をして当然である。

日本の核武装・軍事力増強に反対する者共こそ、支那・北朝鮮の手先であり平和の敵だ。

「集団的自衛権行使容認は軍国主義復活だ」などと日本共産党は言っていた。

同じ共産主義イデオロギーを堅持している共産支那と北朝鮮こそ、アジアにおける凶悪なる軍国主義国家・侵略国家なのである。共産党はまず以て共産支那と北朝鮮に、軍事力の増強と他国への軍事的恫喝へ止めろと抗議すべきである。

しかし、そんなことはしない。 日本共産党・立憲民主党・朝日新聞をはじめとする左翼勢力・左翼偏向メディアは、共産帝国主義国家=支那の手先なのである。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



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『拉致』は、言うまでもなく北朝鮮による「国家犯罪」


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わが国政府は、平壌に自衛隊特殊部隊を派遣して金正恩を拘束し、東京に連行して裁判にかけることが、北朝鮮との関係正常化の前提である

横田滋様のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。

以下の拙論は、今から十四年前の平成十八年三月に書いたものですが、状況は全く変わっておりません。

あらためて掲載させていただきます。    

『拉致』は、言うまでもなく北朝鮮による「国家犯罪」であり、国家主権の侵害であり、わが国民の人権を無視した北朝鮮によるテロである。

まさに北朝鮮は国際テロ国家なのである。

わが国は自由民主国家である。

北朝鮮という独裁専制国家にどう対峙して行くかが大問題である。

人さらい国家・人殺し国家・国際テロ国家に対して、歴史問題で謝罪したり補償したり経済援助する必要は毛筋の横幅ほども無い。

北朝鮮による日本人拉致が長期にわたって行われてきた原因は、北朝鮮が金正日の指揮のもと国家機関が実行して来たことよるのは言うまでもない。

しかし、それとともにあるいはそれ以上に、わが国政府が北朝鮮の主権侵害・国際犯罪・テロ行為に対し何の防御策も講じなかったこと、そして旧社会党などのわが国の政党や偏向マスコミが北朝鮮の体質を認識していながら、それを正しく国民に知らせなかったこともその原因である。

わが國の偏向マスコミは、拉致問題について、金正日が、平成十四年九月の小泉総理の訪朝時に拉致を認めるまではあまり報道しなかった。

国家は、国民を守る義務がある。政府が、長年にわたって拉致問題を事実上放置し隠蔽し、拉致された人々を救出する具体的な処置を講じなかった責任は大きい。

また、北朝鮮の工作船および工作員のわが国領海侵犯・わが国国民の拉致・スパイ活動等々を防止し取り締まることができなかったことも、厳しく批判されねばならない。

北朝鮮を訪問し、北へのコメ支援・経済支援を推進して来た政治家・政党そして「有識者・文化人」といわれる人々も厳しく批判しなければならない。

とりわけ、北朝鮮寄りの姿勢を保ち、北朝鮮労働党と友党関係にあり、北朝鮮の数々の犯罪行為・スパイ行為・主権侵害行為をかばい立てしてきた旧社会党・社民党という北朝鮮の手先の政党の責任はまた重大である。

小泉純一郎総理は、「拉致問題の解決なくして国交正常化はない」と繰り返している。

では「拉致問題の解決」とは何か。

それは、①生存している拉致被害者の一日も早い帰国、②真相の糾明、③拉致容疑者(これには当然金正日自身も含まれる)の引渡しの三つである。

この三つが実行されることが「拉致問題の解決」である。

北朝鮮によって拉致されたわが国民の安否確認と原状回復・謝罪・賠償・真相究明が確実に実行されないかぎり、拉致問題が解決したことにはならないし、わが国は北朝鮮をまともな国家として認定する事は出来ない。

ゆえに、国交正常化はもちろんのこと、北朝鮮への食糧支援も絶対に行なうべきではない。

国交正常化と拉致問題と核ミサイル問題を同時平行で北朝鮮と協議するという事ではあまりにも生ぬるいといえる。

拉致問題と核ミサイル問題の全面的解決なくして、国交正常化はあり得ないという姿勢で臨むべきである。

北朝鮮は拉致問題について「解決済み」という態度をとり続けている。

そしてわが国政府は「対話と圧力」ということを言い続けている。

経済制裁しかわが國のとるべき道はない。

政府が経済制裁をする姿勢が大事なのであって、効果があるないは第二である。

「平和」を守るという事のためには、正義や道義は後回しというのではダメである。

それは本当の平和ではない。

「たとえ日本国民が不法に拉致されて国家主権が侵されても、外国と対立し緊張関係になる事は避けなければならない」という考え方は間違っている。

こうした敗北主義がテロ国家をのさばらせ、真の平和を実現を妨げるのである。

「国交正常化交渉再開→合意成立→経済援助」は、日本国民と北朝鮮住民の平和と幸福には絶対につながらない。

日本からの経済・食糧援助は、金正日独裁政権の延命に力を貸し、わが国の安全を脅かし、北朝鮮住民の地獄の生活をさらに続かせるだけである。

わが国の北朝鮮への経済援助は、北朝鮮人民を苦しめることにはなっても助けることにはならない。

それは、わが国の共産支那への経済協力が共産支那の軍事力増強に力を貸すこととなり、わが国の安全と独立を脅かす結果となった愚行と同じである。

北朝鮮はまともな国ではないのは明白であるが、日本もまた北朝鮮とは別の意味においてまともな国家ではないということになる。

なぜなら、自国の国民を守ることが出来ず、わが国国民を拉致され殺されても、相手国に対し何の制裁・報復も加えることが出来ない国は、まともな国とはいえないからである。

わが国政府は、平壌に自衛隊特殊部隊を派遣して金正日を拘束し、東京に連行して裁判にかけることが、北朝鮮との関係正常化の前提である、というくらいの意気込みを持って北朝鮮に相対するべきである。

わが国が「普通の国」すなわちアメリカやイスラエルのような国防体制が確立しているしっかりとした国であるなら、北朝鮮に宣戦を布告し軍事的制裁を実行し、拉致された日本国民を救出ているであろう。

北朝鮮という「国」の成り立ちも、まともではない。

北朝鮮の「建国」は、大東亜戦争終結後、朝鮮半島の北半分を軍事占領したソ連軍が、共産ゲリラだった金日成を連れて来て朝鮮半島北半分の支配者に仕立て上げただけのことである。

一九四八年(昭和二十三年)、朝鮮半島全体で民主的な選挙を実施しようとしても金日成はそれに応じなかった。

そして南だけで選挙が行なわれ、李承晩が初代韓国大統領に選ばれた。

だから本来的には、朝鮮半島における唯一の正統政府は大韓民国のみなのであって、金日成政権は北朝鮮を軍事占領している集団に過ぎないのだ。

そればかりではない。一九五〇年(昭和二十五年)六月二十五日午前四時過ぎ、金日成軍は、突如三十八度線を突破して侵略を開始し、ソウルを火の海にして、二十八日にソウルを占領した。

金日成軍による韓国侵略によって三百万人が犠牲になった。

この朝鮮戦争で、金日成軍及びそれを支援する共産中国軍と戦ったのは国連軍である。

そして、一九五一年二月一日、国連総会は共産中国を侵略者と決議した。

つまり、北朝鮮の盤距する政権は侵略者であり正統性がないのである。

朝鮮戦争の時、わが国内において、侵略者=北朝鮮・共産中国を支援するために火焔ビン闘争を展開したのが日本共産党である。

日共こそわが国における最初にして最大の北朝鮮支援組織だったのである。

ともかく、北朝鮮と国交交渉を行なうことは本来正義に反することだし、あの国に経済援助や食糧支援をすること自体、正義に反するのである。

また、北朝鮮が暴発するだのしないだのという論議があるが、あの国はもともと何をするかわからない国であり、何時でも暴発する危険がある。

わが国はそのための万全の対策を講じておくべきである。

この万全の対策とは、北に金や食糧を出してご機嫌をとることではない。

「北朝鮮=金正日の暴発を防ぐために、食糧や物資やカネを出すべきだ」という考えはまったく間違っている。

そんなことをするのは、「泥棒に追い銭」どころの話ではない。

自分に襲いかかって来ようとする異常者に刃物を渡すようなものだ。

「人道支援」という言葉があるが、北朝鮮を支援することは最も人道に反する行為である。

経済援助や食糧支援によって金正日政権を延命させるべきではない。

金正日政権が存続することによって、一年で数十万人の北朝鮮人民が飢死していくのだ。

また、わが国の安全を根底から脅かす核爆弾や生物化学兵器が増産されるのだ。

金正日体制を打倒解体することが北朝鮮人民を幸福にする真の「人道援助」であり、わが国の安全を保障する方途である。

またいくら「人道支援」なる事を行ったとて、拉致されたわが同胞が帰って来る保障はまったくない。

「金大中の『太陽政策』を見習ってわが国も北を援助すれば、北が変化する」などという意見があるが、金正日=北朝鮮は、イソップの寓話に出て来るような「マントを着た旅人」ではない。

核兵器・生物兵器を持ち破壊活動を行なうテロ国家であり、「ならず者」なのだ。

こちらが下手(したて)に出て様々な援助をしたからといって、悔い改めるような「国家」では断じてない。

北の独裁体制を打倒することを第一に考えねばならない。

北朝鮮に住む人民の人権を蹂躙し続けるばかりでなく、餓死せしめている巨大な監獄国家が北朝鮮である。

そのような地で呻吟して暮らしている拉致被害者を一刻も早く救出すべきである。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



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安倍総理は真正保守の政治家としての自己の信念を貫きとおす政治を行ってほしい

安倍晋三


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安倍総理は真正保守の政治家としての自己の信念を貫きとおす政治を行ってほしい

 明治維新以後、わが国の最高権力者でテロに遭遇した人は数多い。

井伊直弼・大久保利通・大隈重信・原敬・犬養毅・濱口雄幸などである。

もっといるかもしれないが頭に浮かんでこない。

幕末明治初期はまさにテロの連続であった。

昔の政治家はそれだけ命懸けであった。

安倍晋三総理の祖父・岸信介氏も、戦時中、東條英機総理と対立し、東條氏の部下であり当時の東京憲兵隊長四方諒二に脅迫された。

岸氏は、終戦後は東京国際軍事裁判で「戦犯容疑者」として収監され、どういう刑に処せられるか分からない状況に置かれた。

そして総理退任後は、総理官邸でテロに遭った。

岸信介氏は文字通り命懸けであった。

四方諒二は、中野正剛を死地に追いやった男と言われている。

安倍氏は『孟子』公孫丑上にある『自(みずか)ら反(かえり)みて縮(なお)ければ、千万人(せんまんにん)と雖(いえども)も吾(われ)往(ゆ)かん』という言葉が好きだと言うが、まさにその気概を持って自己の政治理念実現のために獅子奮迅の戦いを行ってもらいたい。

  この孟子の言葉は安倍晋三総理の祖父・岸信介元総理も好きであったと聞いている。

第一次安保騒動で国会や総理官邸がデモ隊に取り巻かれた時、岸氏はこの言葉を心の中で反芻していたのではなかろうか。

小生は、岸氏と親しかった明治大正昭和三代にわたって活躍した言論人・野依秀市先生の家でこの言葉を書いた岸氏の色紙を見たことがある。

最近は、政治家に対するテロも起らず、政治家が命懸けになるということはあまりないように思える。

日本は平和な国になったと喜ぶべきであろうか。

しかし、今の日本は亡国の淵に立たされていることは確かである。

自民党左派、立憲民主、社民・共産・朝日新聞をはじめとする勢力が、安倍氏に対して総攻撃を開始している。

安倍総理は真正保守の政治家としての姿勢を堅持し、これに打ち勝って自ら信ずる道を正々堂々ぶれずに突き進んでいってもらいたい。

安倍氏の郷土・長州の大先輩である吉田松陰先生も孟子を尊敬し、維新の精神を生き、維新のために命を捧げ、そして維新実現の原動力になった方である。

私は、安倍晋三氏に、吉田松蔭先生の精神を継承して祖国の再生のために獅子奮迅の戦いをしてもらいたいと切に望む。

安倍総理は真正保守の政治家としての自己の信念を貫きとおす政治を行ってほしい。

祖父の岸信介元総理のような強さ・実行力・決断力を発揮してもらいたい。



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自然に宿る神や霊魂を畏敬する心を復活


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自然に宿る神や霊魂を畏敬する心を復活することが大切

大地震・大津波・火山噴火・台風など、わが国は自然災害が多い。

和辻哲郎氏が、その著『風土』において次のやうに論じてゐる。

 「我々は自然の合理的な性格と非合理的な性格とのいずれが著しく目立っているかによって芸術に著しい相違が現われて来たのを見る。

…ヨーロッパにおいては、温順にして秩序正しい自然はただ『征服さるべきもの』、そこにおいて法則の見いださるべきものとして取り扱われた。

……自然が最も重んぜらるる時でも、たかだか神の造ったものとして、あるいは神もしくは理性がそこに現われたものとしてである。

しかるに東洋においては、自然はその非合理性のゆえに、決して征服され能わざるもの、そこに無限の深みの存するものとして取り扱われた。

人はそこに慰めを求め救いを求める。

特に東洋的なる詩人芭蕉は、単に美的にのみならず倫理的に、さらに宗教的に自然に対したが、そこに知的興味は全然示さなかった。

自然と共に生きることが彼の関心事であり、従って自然観照は宗教的な解脱を目ざした。

かかることは東洋の自然の端倪すべからざる豊富さをまって初めてあり得たことであろう」。

 ヨーロッパの自然は、比較的温順にして秩序正しいので、神が創造した自然は、神の創造物の中で最も高い地位にある人間によって支配され改造され利用されてよいといふ思想が生まれた。

これがヨーロッパの自然観である。こうした自然観が、自然を改造し利用して科学技術を発達させたが、自然破壊につながった。

日本をはじめとした東洋の自然は比較的厳しいので、人間は自然と共生し、自然を畏怖すべきものとして接してきた。

そして自然を「神」として拝み、信仰の対象にした。

われわれ日本人は、これからも自然と共に生きる姿勢を保っていかなければならない。

自然災害はまさに自然の非合理の極であり、人間が自然を征服するどころか、自然が人間を征服することを実感させる。 

古代日本人は、人生も自然であり、人の生活は自然の中にあるものであって、人間は自然の摂理と共に生きるべきと考へた。

だから西洋のやうな「自然を征服する」とか「自然を改造する」などといふ考へ方は本来なかった。

津田左右吉氏は「萬葉歌人の自然に対する態度についていふべきことは、自然を我が友として見、無情の生物を人と同じく有情のものとすることである。」
(『文学に現はれたる我が国民思想の研究』)と論じてゐる。

日本人にとって自然とは、本来、対立するものでも、征服するものでも、造り替へるものでもなかった。

自然を神々として拝ろがみ、自然に随順し、自然の中に抱かれて生活してきた。

自然の摂理に歯向かふ時、人間は自然の報復を受けるといふことを体験的に知ってゐた。

報復と言って悪ければ、摂理に逆らふことによって害を受けることを知ってゐた。

日本人は古来、自然を畏敬し、順応しつつ生きて来た。

日本人のみならず近代の人類は、自然を破壊し自然の摂理に逆って、文明の進歩発展・経済発展の道をひたすら突っ走ってきたことは確かである。

「山びこ」(山の谷などで起こる声や音の反響)のことをこだま即ち「木霊」「木魂」といふ。

山野の樹木に霊が宿るといふ信仰から出た言葉である。

まさに日本人は、山野に霊が宿ってゐると思ひ、深山幽谷は古代人の眼から見れば、精霊の世界だったのである。

かうした信仰精神を今日に蘇らせることが自然保護の最高の方策である。

法令や罰則の強化は必要ないとは言はないが、それ以前に、自然に宿る神や霊魂を畏敬する心を復活することが大切である。

それには、古代日本人の自然観が表白されている日本神話の世界や『萬葉集』の自然詠の精神に回帰することが大切である。

日本民族は、天地自然に素直なる感動と畏敬の念を持ち、天地自然を神として拝んだのである。

また、死者の靈も神として拝んだ。一神教の神観念とは大きく異なる。

 それでは、日本民族の神観念と一神教の神観念とは全く相容れないかといふとさうではない。

日本人の神観念には、「神はこんな形だ」というふ一定の相形(すがたかたち)はない。

神の姿は無限である。だから、神はありとあらゆる姿に現れる。

神は無相であると共に無限の相たり得るのである。

日も月も山も海も大木も風も水も神として拝まれる。

神は本来が無相であり無限であり、どんな姿にでも現れ、我々を護りたまふのである。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



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共産支那=中華人民共和国こそ、世界最大最悪の軍国主義国家

細菌戦の勝利者を気取る習近平


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共産支那=中華人民共和国こそ、世界最大最悪の軍国主義国家であり、侵略国家であり、独裁国家。

共産支那の全国人民代表大会は五月二八日、香港に反政府デモなどを取り締まる国家安全法制を導入する「決定」を採択した。

全世界中で新型コロナウイルスへの対応が続くなか、「支那政府による治安維持のための「機関」を香港に設置できる、国家の安全に深刻な危害を及ぼす行為や外国勢力が香港に関与する活動を抑制し処罰する」という「法律」なるものが火事場泥棒的に制定されたのである。

これで一国二制度は完全に崩壊し、香港は支那共産政府の独裁専制政治の下に置かれる事となり市民の自由も民主体制の完全に奪われる。

共産支那=中華人民共和国こそ、世界最大最悪の軍国主義国家であり、侵略国家であり、独裁国家であ.

これまでチベット・東トルキスタン・ベトナムなどを侵略してきた国、そして今日アジア全域において軍事的覇権を確立しようとしている国が共産支那なのである。

偏向マスコミや社民・共産両党・立憲民主党そして自民党左派は、こうした実態を知っているくせに、共産支那を厳しく批判しない。

そして、わが國政府の防衛力整備を非難している。なんとも許し難い。

「中華」を名乗っている支那大陸の政権は、有史以来、帝国主義的侵略支配を意図してきた政権である。

 支那共産政府の現在の領土の六三%は一九四九年まで支那人以外の人々の領土だった。

サッチャー元英国首相はかつて「大英帝國も大日本帝國もなくなったが、中華帝國は残っている」と言った。

その支那共産政府がわが国を侵略国家・軍国主義国家呼ばわりするのは、文字通り盗人猛々しいというほかはない。

真正保守運動・愛国運動は、戦後一貫して共産支那批判を行って来た。

そして共産支那や南北朝鮮に対する土下座外交・謝罪外交・弱腰外交を糾弾してきた。

真正保守運動・愛国運動の訴へて来たことがいかに正しかったかが、証明されている。

我々が、「共産支那脅威論」を論じ、共産支那への経済協力を批判すると、親支那派の人々は、「日本が対中協力をすることにより、中国が発展して豊かになれば、民主化が促進され、中国の脅威などは無くなる」などと反論した。

こうした論議が全く間違っていたことが、近年明白に証明された。

また、「日本は平和国家として出発したのだから、軍事力を強化してはならない。

憲法違反の自衛隊は無くしてしまい、日米軍事同盟も破棄すべきだ。

それが平和への道である」という論議がいかに間違っていたかも明らかになった。

「間違っていた」どころではない。東アジアの平和と日本国の独立と安全を根底から脅かす論議である。

南北朝鮮や共産支那に経済協力をすることは即ちわが国及びわが国民の安全を脅かすことなのである。

また軍事力を軽視することは、侵略者・無法国家を増長させるだけである。

わが國は、何が何でも共産支那の侵略から祖国を守る体制を確立せねばならない。

自主防衛体制が確立されるまでは、日米軍事同盟を堅持し強化する以外に、無法国家・侵略者から祖国を守る手立ては無い。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



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権力奪取ばかりを画策する亡国野党そして偏向メディアという国内の「反日勢力」に対する糾弾


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安倍政権に対しては大きな不満があり、欠点もある。

歴史問題・憲法問題に対する姿勢はもう少ししっかりしてもらいたい。

しかし、今の野党に政権を渡してはならないということは自明である。

国難の時期に、国家の基本政策・基本戦略を明らかにせず、政府攻撃、権力奪取ばかりを画策する亡国野党そして偏向メディアという国内の「反日勢力」に対する糾弾が大切である。

亡国野党と偏向メディアは、安倍総理夫妻や自民党政府を糾弾し、「安倍一強体制を撃ち破る」とか言って、政府攻撃に終始している。全く国家の安全よりも政府転覆の方が大事なのである。

我々は北朝鮮、共産支那という外敵そして亡国野党偏向メディアという内なる敵に対して、毅然として戦いを挑まねばならない。

亡国野党の連合政権ができたら、日本はどうなるであろうか。

対外関係だけに限っても、支那と北朝鮮による我が国への軍事的政治的圧迫を今以上に跳ねのけることはできなくなる。

野党連立政権は何としても阻止しなければない。

日本人は、政治家など誰か一人の人物を極悪人に仕立て上げ、その人を断罪すればすべての物事が解決し、日本は良くなるという常軌を逸した異常な意識を持つことがある。

大東亜戦争敗北直後は、東條英機がその対象になった。

「東條がいなかったら日本は戦争をしないで済んだ。戦争に負けて国民がこんなに苦しんでいるのは東條のせいだ」という風潮が横溢した。

講和が発効し造船疑獄が起こると、「吉田が悪い、吉田を倒せ」の大合唱。

そして岸信介氏が日米安保改定を断行しようとすると、「元戦犯の岸はアメリカと一緒になってまた戦争をやる気だ」と批判し、岸内閣打倒のデモが国会を取り巻き乱入した。

その後、岸氏の弟佐藤栄作氏の長期政権に飽きると、「官僚政治反対。庶民宰相が良い」のこれまた大合唱。

「今太閤」と持ち上げられた田中角栄氏に対しても「田中金権政治批判」が巻き起こった。

その後は、中曽根・竹下・宮沢などが総理になったが、それほどの批判は起らなかった。

時代が変わったのだろうか。

しかし、今の安倍晋三総理に対しては、野党やメディアなどから相当な非難攻撃が起っている。

それがかつてのような内閣打倒にまで発展するかどうかまだわからない。

しかし、日本人の癖がまた復活してきたように思える。

そもそも安倍政権は、「日本を取りもどす」「美しい日本」を合言葉にして政権を掌握した。

多くの保守勢力は安倍政権を支持した。

多くの政党が連立を組んだ政治がいかに駄目だったかは、細川連立政権が実証した。

野党は、日本が、外交・国防安保・自然災害・新型コロナウイルスなどで大変な危機的状況にあるにもかかわらず、揚げ足取りと失言追及、つまらないスキャンダル追及に明け暮れてきた。

メディアも同じだ。

今日もっとも大切な問題は、国家の安全と独立の維持である。

そのためには憲法を正し、防衛体制を強化するべきなのである。

かつて民主党は「コンクリートから人へ」などと耳障りの良いことを言って政権を奪取したが、その直後に東日本大震災が起こり、国土が破壊され多くの犠牲者が出た。

災害を出来得る限り食い止めるため國土をもっと整備し強靭化すべきだったのである。

それを怠ったのが当時の民主党政権だったのだ。

民主党政権瓦解以後、民主党は、バラバラに分裂した。

そしてまた最近になって、バラバラだった連中が政策も理念も異なるのに協力し共闘し政権を奪取ようとしている。

だから政府への揚げ足取りや失言追及しかできない。

離合集散を繰り返し、外交・安全・経済・財政・福祉・教育そして肝心の憲法についての何等の政策も理念も政策も示し得ない現在の野党に政権を担う能力はない。

小沢一郎氏などは、「野党が大同団結すれば政権を奪取できる」と考えているようだが、社民・共産・立憲民主左派という革命勢力、國體破壊・自由圧殺政治勢力をも含めた野党による政権奪取実現したいということだ。

こんなことを絶対に許してはならない。

そもそもついこの間分裂したばかりなのにまた「大同団結させる」などということ自体実に無責任であり、国民を愚弄することだ。

数多くの政党が連立を組んだ政治がいかに駄目だったかは、細川連立政権が実証した。

志位和夫・蓮舫・福島瑞穂・辻元清美・山尾志桜里・小川敏夫・長妻昭などという連中が中枢を担う政権が誕生すれば、まさに日本は亡国である。

こんな連中が政府閣僚になっている姿を想像するだけでゾッとする。

そんな政権より安倍政権の方がましであることは火を見るよりも明らかである。

ともかく、今の野党に政権を渡してはならない。

日本国の政治が混迷し不安定になれば一番喜ぶのは誰かを考えるべきである。

日本は共産支那の属国になり、軍事的政治的支配下に置かれることとなる。

経済も福祉も停滞する。

治安も今以上に悪くなる。 ともかく今の野党に政権を渡してはならない。

日本国の政治が混迷し不安定になれば一番喜ぶのは誰かを考えるべきである。

日本は支那の属国になり、軍事的政治的支配下に置かれることとなる。

経済も福祉も停滞し治安も悪くなる。

亡国野党・偏向朝日の倒閣の企みを阻止しなければならない。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



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大東亜戦争の正しき意義を認識し、國内外の亡國勢力・反日勢力を一掃

アジア植民地地図


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大東亜戦争の正しき意義を認識し、國内外の亡國勢力・反日勢力を一掃することが、國家民族の緊急の課題である。

昭和天皇は『終戦の大詔』において「同胞排擠(はいさい)互に時局を乱(みだ)り為に大道を誤り信義を世界の失ふが如きは朕最も之を戒む」と示されてゐる。

このお言葉はまさに今日の日本の現状をそのまま予言されてゐると拝するべきである。

昭和天皇の大御心を疎んじ奉ってきたことが、今日の日本の混迷の原因である。

祖國日本が近代において、欧米列強の侵略支配に抗して祖國の独立を維持し続けただけでなく、アジア解放に努力した歴史に対して、日本國民が誇りを持ち、先人たちに感謝し慰霊すべきなのである。

しかるに、今日の日本の多くの國民が、國内外の反日勢力の洗脳・宣伝によって、自虐史観・東京裁判史観・大東亜戦争侵略戦争論に汚染され、祖國への誇りと自信を喪失してゐる。

そして、日本近代史を「近隣諸國への侵略の歴史であった」として罪の意識のみを持ち先人を冒?する風潮が横溢してゐる。

かうしたことは一刻も早く是正されねばならない。

我々日本國民が日本近代史をどうとらへるかが、今日のそして今後の日本人の精神構造やその國家観に大きな影響を与へ、現実の政治・外交・教育など全てにわたることを規定する。

近代日本が弱肉強食の世界で生き抜き、西欧列強の侵略に抗して独立を維持していくために、「富國強兵」「殖産興業」の合言葉のもと近代國家建設を行ったことは、わが日本民族が誇りにすべき事実である。

また、明治維新以後の日本の海外進出そしてその到達点としての大東亜戦争が、日本の一方的な侵略であったといふ歴史観は全く誤りである。

近代日本史および大東亜戦争の正しき意義を認識し、國内外の亡國勢力・反日勢力を一掃することが、國家民族の緊急の課題である。

一五世紀から一七世紀前半にかけて西欧諸國が航海・探検により海外進出を行った大航海時代から白人による世界支配が開始され、特に一九世紀の最後の四半世紀は帝國主義植民地獲得競争の最盛期であり、アフリカ全土が分割され、アジア・太平洋地域のほとんどが欧米の植民地となった。

白色人種の帝國主義植民地獲得競争の波を世界で初めて阻止したのが日露戦争であり、今まで圧迫されてきた有色人種のナショナリズムを覚醒させ、各地に独立運動を発展させる端緒となった。

シンガポールは英國のみならず白色人種のアジア支配の象徴であった。

大東亜戦争開始直後における日本軍によるシンガポール陥落は、欧米のアジア支配の終焉を告げる弔鐘であった。

チャーチルも「英帝國が終焉した理由は、英軍がアジア人の前で日本軍に惨敗したからである」と述べた。

東南アジア諸國が独立したのは大東亜戦争が契機となったのであり、やがて植民地独立の波は全世界に広がり、アフリカに及んだ。

欧米の植民地支配を終末に導いた日本に憎しみをぶつけ、再び日本が欧米の覇権を揺るがせないように弱体化しようとしたのが連合國の日本弱体化政策であり、その第一歩が「東京國際軍事裁判」であり、これに続くものが「占領憲法」の押しつけであった。

東京裁判では帝國主義植民地獲得競争の時代を除いて満洲事変以降のみを裁判の対象とし、日本に対する米英蘭などの包囲陣の形成と経済圧迫などの挑発や、支那における共産勢力の浸透の脅威に関する反証資料の多くを却下した。

日本無罪論を唱えたインドのパール判事などの少数意見を無視し、筋書き通りに大東亜戦争を日本の軍部を中心とする共同謀議による侵略戦争として専ら日本を断罪した。

戦勝國の日本占領政策は、東京裁判・神道指令・憲法の押しつけ・厳格な言論統制などを通じて日本人の精神面の弱体化を徹底した。

有史以来未曾有の敗戦と異民族支配に動顛した日本は、東京裁判史観即ち大東亜戦争侵略論に汚染され、それは今日に至るまで続いてゐる。

戦争については國家意思が何処にあったかで判断すべきである。

『開戦の詔書』には『自存自衛』『東亜の安定の確保』『世界の平和に寄与』『萬邦共栄の楽を偕にする』と示されている。

白色人種の植民地だった東亜の解放が戦争目的だったのである。

我ら日本人は、日本が白人優位の世界秩序を変えたことを誇りに思はなければならない。

日本の國の歴史に誇りを持つとは、歴史の中に生きた先人たちを大切にし、顕彰することにほかならない。

大東亜戦争に殉じた英霊を崇敬し慰霊顕彰し、その遺徳を追慕するのは日本國民の心情である。

皇軍兵士の勇戦奮闘は、わが國民が子々孫々に語り継ぐべき誇りである。

その國の國民が祖國の歴史を如何に見るかは、その國の将来を決定する要素である。

反省と謝罪の意識に責め苛まれる日本は亡國の道を歩むしかない。

日本の國を愛し、日本の國の歴史に誇りを持つことが、今後の日本の発展と國民の幸福の基礎である。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】

大東亜戦争前のアジア植民地地図

大東亜戦争後のアジア植民地解放・現在の地図



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国難の時期においてこそ祭祀の精神を回復すべきである。


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国難の時期においてこそ祭祀の精神を回復すべきである。

国難の時期においてこそ、厭世的ではなく逃避的でもなく、清潔さを好む、明るくおおほらかなる祭祀の精神を回復すべきである

神祭りは、日本傳統精神の原点であり日本傳統文化の祖型である。

神道の基本行事たる「祭り」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。

つまり神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。

祭祀は、〈神人合一〉の行事である。

「祭祀」とは、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。

日本神道の祭りは、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、罪けがれを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰るといふ行事である。

言ひ換へると、禊祓ひによって生成の根源に回帰するといふことである。

「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふのである。
「祭り」とは厳粛なる行事ではあるが、堅苦しい苦行ではない。

明るく愉快な行事である。神人融和・神人合一の状態は明るく面白いのである。

「阿波礼、阿南於毛志呂、阿南多乃之、阿南佐屋気、於気於気(あはれ、あなおもしろ、 あなたのし、あなさやけ、おけおけ)」 日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。

つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「まつり」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。

「面白い」といふの言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。

神人合一とは、明るい面白い境地なのである。

これは、天照大神が天の岩戸からお戻りになり、世界が明るさを取り戻した際、天の岩戸の前で神々が歌ひ踊って喜ぶ場面の掛け声である。

日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。

日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。

つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「祭り」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。

神人合一とは、明るい面白い境地なのである。決してしかめつらしい境地ではない。

厭世的でもなければ逃避的でもないといふのが我が國民性である。

いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができる信じ続けてきてゐるのである。

また「さやけ」といふ言葉には、日本人の清潔好きといふ感覚が表現されてゐる。

面白く、楽しく、清らか、といふのが「まつり」なのである。

ここに日本神道=日本傳統信仰の特質がある。

「難行苦行を経なければ神の許しを得ることはできない。

そして神は常に人間に対して罪を犯したら裁く、神に背いたら報復すると脅し続ける」といふ恐怖の信仰ではない。

今日のやうな大国難の時期においてこそ、厭世的ではなく逃避的でもなく、清潔さを好む、明るくおおほらかなる祭祀の精神を回復すべきである。

民族の魂の甦りであり日本の道統への回帰である維新の精神を、最もよく表白した歌は伴林光平の次の歌である。  

「度會(わたらひ)の 宮路(みやぢ) に立てる 五百枝杉(いほえすぎ) かげ踏むほどは 神代なりけり」  伊

勢参宮の時の実感を詠んだ歌である。

伊勢の神宮は度會郡に鎮まりましますゆえに伊勢の参道のことを「度會の宮路」と申し上げる。

「五百枝杉」とは、枝葉の茂る杉のこと。

「伊勢の神宮に茂る杉の木陰を踏み行くと今がまさしく神代であると思われ、自分自身も神代の人のように思われる」というほどの意である。

「今即神代」が日本伝統信仰の根本である。

伊勢の神宮に行くと今日においても誰でもこの思いを抱く。

近代歌人のこれと同じ思いを歌に詠んでいる。

窪田空穂は 「遠き世にありける我の今ここにありしと思ふ宮路を行けば」と詠んでいる。

 今を神代へ帰したいという祈り即ち「いにしえを恋うる心」がそのまま現状への変革を志向するのである。

しかも光平のこの歌は、それを理論理屈ではなく、日本人の美的感覚と文芸の情緒に訴えているのだ。

だからこそ多くの人々に日本の道統への回帰を生き生きと自然に神ながらに促すのである。  

光平は「いにしえを恋うる歌」を詠みつつそうした絶対的な信念に根ざしつつ現実の変革への行動を起こした。

それが文久三年(一八六三)の天誅組の義挙への参加である。

同年八月十三日攘夷祈願のため大和に行幸され畝傍の神武天皇山陵に親拝される旨の勅が下った。

これを好機として一部の公家や勤皇の志士たちは倒幕を決行せんとし、「天誅組」を名乗って決起した。

ところが八月十八日に政変が起こって朝議が一変し、大和行幸は中止となった。

決起した志士たちは逆境に陥り、壊滅させられてしまった。

伴林光平は天誅組に記録方兼軍義方として参加したが、捕らえられ、元治元年二月十六日京都にて斬罪に処せられた。

光平の歌でもっとも人口に膾炙している歌は、

   「君が代は いはほと共に 動かねば くだけてかへれ 沖つしら浪」  

である。京都にて斬刑に処せられる際の辞世の歌と伝えられる。

死への恐怖などというものは微塵もないこれほど堂々としたこれほど盤石な精神の満ちたこれほど力強い辞世の歌は他にあるまい。  

「君が代はいはほと共に動かぬ」という信念は光平の「神代即今」「今即神代」という深い信仰が基盤になっているのである。

草莽の志士たる光平をはじめとした天誅組の烈士たちの熱い祈りと行動が、王政復古そして維新の原動力となったのである。

【四宮政治文化研究所・四宮 正貴先生の投稿から頂きました。】



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